〈経済学部通信〉あの思いこの思い

今回は韓先生にご寄稿いただきました。


 早朝五時ごろ目が覚めるや否や、蝉の大合唱がすでに始まった。出窓の網戸に一匹が飛びつき、耳いっぱいに訴えてきた。けなげな君だなと眼をやりながら、すっと身も心も軽やかに感じてきた。

 大暑入りしてから、いつの間にか蝉が一斉に出そろった。夏の宴を盛り上げんがための勢いだ。人の世に束の間のゲスト出演だとはいえ、さっと訪れ、わっとクライマックスへと、そしてほどなくひっそりと去っていく。その潔さが何とも言いがたい。

 「ねえ、聞こえてる?うちのほうも、蝉が鳴き始めたよ。いっぱい集ってるんよ、庭先のあのナツメの木に。」と、ほぼ同じタイミングに母から音声メッセージが入って来た。

 あのナツメの木かぁ。

 父が植えてくれた木だ。

父は他界して今年で20年。この20年の間、一番下の弟も結婚し二人の息子を育て、その長男は今9月から高校生になる。一方、母は孫たちの世話を終え、田舎の実家に戻って一人暮らしを選んだ。野菜の栽培や、鶏、犬、そして猫たちのことで毎日忙しく動いている。何より、勉強や習い事の合間に戻って来た孫たちを、心いっぱいの手料理を作って迎えるのが至福のようだ。寂しくなんかしてないよ、だって、この家、お父さんとの思い出がいっぱい詰まっているもん、と朗らかな母。

 この20年間を、母は父のことをどう思って過ごしてきたのかずっと気になっていたわたしだったが、母のその言葉に救われている。

 

 さて、あなたは?何かを残したのだろうか。

 蝉時雨の中、つながっている空を眺めつつ胸の奥から聞こえた、

「我、此処に有り」と。

 

庭先に父が植えてくれたナツメの木

 

夕日が映える母の散歩道

〈経済学部通信〉「戦争は女の顔をしていない」を読んで

今回は両角先生にご寄稿いただきました。


今回は,私が最近読んで衝撃を受けた本を一つご紹介して,お茶を濁しておくとします。

 その本はこれです。

  スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』
  (三浦みどり訳,岩波現代文庫,2016年)

  (以下の文中でのページ数はこの文庫本のもの。)

 

 ★  ★  ★

 

第2次世界大戦の帰趨を決したのが,ナチス・ドイツとソビエト連邦間の戦争(独ソ戦)であったこと。つまり,ナチス・ドイツは本質的にソ連・赤軍(アメリカ,イギリスから支援を受けながらではあったが)に敗れたのだということ。この勝利の代償としてソ連は,他国とはケタ違いの戦死者(2000万以上と言われる)を出したこと。こうしたことは今ではよく知られるようになっただろうか。ソ連・赤軍の勝利にともなう事象は,映画などでもさまざまに描かれており,本書でも触れられている。

「勝利だ! 勝利だ! <降伏>はともかく<勝利>は私たちにも理解できた。『戦争が終わった。戦争が終わったんだ!』手元の銃を発射する者,涙を拭う者,踊りまわる者。『生き延びたんだ! 生きてるんだ!』」(p.181)。

このような歓喜の爆発があり,ジューコフの凱旋パレードもあり,祝祭気分に満ちたひと時があったことは,十分理解できる。(他方,ソ連・赤軍の占領地域での略奪・暴行など,勝利の暗黒面も次第に明らかにされている。)

しかし,当然と言えば当然ながら,私たちの知るところはあまりに少ない。知らなかったことが無限にあると言える。たとえば,ソ連・赤軍の勝利にともなって,次のような出来事もあったとは,本書を読むまで私は知らなかった。

ドイツ軍の捕虜となっていた女性兵士が解放された。「そのうちの一人が妊娠していた。一番きれいな子。捕虜になって雇われていたそこの主人に犯された。主人と寝ることを強要された。その子は泣いて自分のお腹をたたいていた。『ドイツ人の子供なんか,連れて帰れない』と。女の子たちは説得した・・・でも,その子は首を吊ってしまった」(p.446)。

本書に収められているのは,このような元女性兵士一人一人の肉声である。ありふれた日常生活から途方もない大波に巻き込まれた人たち,「大きな物語に投げ込まれてしまった,小さき人々の物語」(p.63. 著者の言葉)である。

ソ連・赤軍に従軍した女性兵士は総数約100万人と推定されている。その多くはコムソモールからの志願者であった模様である。衛生・看護兵として従軍した人が多いようだが(これは他国でも例がある),そればかりではない。通信・兵站など,比較的後方の勤務から,狙撃兵,戦車兵,砲兵,工兵,パイロット,パルチザンに至るまで,最前線で戦った女性兵士も数多い。

戦後,それらの女性兵士たちは,例外なく固く口を閉ざして,戦地での経験を語ろうとしなかったという。それはなぜだろうか。

第一に,自分たちの経験があまりに凄惨で,言葉にできなかったということが考えられるだろう。彼女たちは,たとえば,「味方の兵士たちがライフルだけでドイツ軍の戦車に飛びかかっていった」のを目撃したのだ。「銃床で装甲板をたたいているのを見たことよ。たたいて,わめいて,泣いてたわ,倒れるまで」(p.69)。忘れたくても生涯忘れられない場面だと語られている。ある赤軍伍長が語るところでは,「補充兵がやって来る・・・来たと思ったら,もういないんだから。二,三日のことさ。1942年のことだった。一番つらい,困難な時だった。300人いたうち,その日の終わりには10人しか生き残っていないこともあった」(p.473)。

そのような戦場で彼女たちは,数十キロの重さの砲弾を担いで運び,敵軍と撃ち合い,弾雨の中で負傷兵を引きずって救け,休む間もなく手当てや看護に当たった。「戦地では半分人間,半分獣という感じ。そう・・・ほかに生き延びる道はなかったわ。もし,人間の部分しかなかったら,生き延びられなかった。首をひねられちゃう」(p.98)。肉体と精神の極限的酷使が身体の変調をもたらすのは当然のことでもあろう。「身体そのものが戦争に順応してしまって,戦中,女のあれが全く止まってしまいました。戦後子供を産めなくなった女の人がたくさんいました」(p.297)。

第二に,そこまでの自己犠牲を払って,どうにか生き延びて復員した後,命がけで守った祖国で待ち受けていた境遇を考えねばならない。ソ連政府が,前線の悲惨さを極力隠そうとしていたという事情はあった。しかし,それ以上に深刻だったかもしれない仕打ちを受けたようだ。これも私は知らなかった。

狙撃兵だったある女性が言う。「男たちは黙っていたけど,女たちは? 女たちはこう言ったんです。『あんたたちが戦地で何をしていたか知ってるわ。若さで誘惑して,あたしたちの亭主と懇ろになってたんだろ。戦地のあばずれ,戦争の雌犬め・・・』ありとあらゆる侮辱を受けました」(p.367)。にわかに信じられないような話なのだが,そういう心ない言葉もあったのだろう。元兵士だった男性の証言もある。「私の妻は馬鹿な女じゃないが,戦争に行っていた女たちのことを悪く言っている。『花婿探しに行っていたんでしょう』『恋に血道をあげていたんでしょう』と。実際は女の子たちはまじめだった。ほとんどが純潔だった」(p.136)。軍の看護長だったある女性は,三回も負傷した末に復員したのだが,身内はおらず,生活に困窮し掃除婦の仕事で何とか暮らしていた。しかし,自分が傷痍軍人(補償を受けられる)だということを誰にも明かさず,その証明書も破り捨てたという。「『どうして破ってしまったの?』と訊くと『そんなもの持ってたら誰が私なんかと結婚してくれる?』と泣くんです」(p.164)。

そのような状況下で口を閉ざして生きてきた元女性兵士たちが,戦後40年ほど経過したころから,自分の経験を語り始めた。相当の年配となって,ようやく語れる気分となったものだろうか。また,「黙ったままで人生を終わってたまるか」という気分もあったらしい。ある元女性兵士はこう訴える。「あたしたちが死んだあとは何が残るんでしょう? あたしたちが生きているうちに訊いておいて。あたしたちがいなくなってから作り事をいわないで。今のうちに訊いてちょうだい」(p.40)。そうして集められた大量の聞き書きが原著に収録されたのだが,原著の初版は1984年刊行,ペレストロイカの直前に強い検閲を受けながらの刊行だった。(削除された個所はその後の版で復元された。)

ところで,白状すると私は「ジェンダー」に関する議論にはまったく疎い。ほとんど無知だと言ってもよい。そんな私から見ると,元女性兵士たちが,地獄の戦場にあって「女らしさ」への渇望を抱いていたという証言は,興味深く感じられる。また,そこには一種のユーモアさえ感じられるのだが,それも歳月の経過のためであろうか。そういった証言をいくつか引用しておく。

二等兵:「戦争で一番恐ろしかったのは,男物のパンツをはいていることだよ。これはいやだった。これがあたしには・・・うまく言えないけど・・・・第一とてもみっともない・・・。祖国のために死んでもいい覚悟で戦地にいて,はいているのは男物のパンツなんだよ」(p.124)。

海軍一等兵:「ちょっとでも休憩がもらえると,何か刺繍をしたり,ゲートルを肩掛けに作り変えたり,何かしら女らしい手仕事がしたかった。女らしいことに飢えていました」(p.160)。

軍曹(通信班長):「私たちは土の中で暮らしていました,モグラみたいに。それでも何かしらどうでもいい小物をかざっていました。たとえば春には小枝をビンに差したりして。明日自分はもうこの世にいないのかもしれないと,ふと思って・・・」(p.285)。

このような「女らしさ」への渇望は,上に引いた「半分人間,半分獣」という前線兵士の「人間」の部分を支えていたのではなかったか。そのように受け取るのは誤りだろうか。

ともあれ,ソ連・赤軍の女性兵士たちは,女性であったがゆえに,男性と比して二重,三重に苛烈な人生を過ごし,ある人は戦死し,ある人は生き延びた。どのページを開いても胸が痛くなるような証言が記録されている本で,読んでいてつらくもなるのだが,現代史に興味のある方にはご一読をお勧めする。

(経済学部 両角)

教職フィールドスタディ 「岡山県高等学校商業教育研究大会に参加して」

教職フィールドスタディとして、「岡山県高等学校商業教育研究大会」に本学学生が参加しました!!

令和4年8月4日に、「第52回岡山県高等学校商業教育研究大会」(会場:ピュアリティまきび)に本学学生が参加させていただき、現職の高校の先生方といっしょに研修を行いました。この研修会は、岡山県下の商業科及び商業関連学科を設置する公私立併せて33校から、現職の先生方が一堂に会し研究協議を行う研修会です。今年はコロナ禍ということもありましたが、105名の先生方と岡山県産業教育振興会、中小企業家同友会から23名の方が参加されていました。本学からはちょうど前期最終試験と重なったため、2年~4年までの商業免許と情報免許の教職コースの学生5名が参加させていただきました。

今回の研究テーマは、「超スマート社会の到来に対応し、地域の未来を創る商業(ビジネス)教育の実現 ~商業教育の学力観の確立~」で、このテーマにもとづき研究会がスタートしました。

午前は、講演会で岡山トヨタ自動車(株)代表取締役社長の梶谷駿介様から「地域の未来を創る共育」というテーマでお話をお聞きしました。最初に人間とは何かを問うことから始まり、人との違いをどう生かすか、人と違っていてそれでいい。その子がその気になったら一気に変わる。人はそんな可能性を秘めている。教育の本質とは何か。SDGsと教育。商業高校への期待の中では、商業の原点はなにか。改めて大学に行く意義を問い直してほしい。そして地域の未来を創る鍵は、教師が生徒とともに学び合う姿勢が大切など学生が聴いても大変わかりやすい内容でした。

<講演会>

また午後からは、「中小企業家同友会と考える人材育成」というテーマで、前半が企業の方と教員による「パネルディスカッション」が行われました。そして後半は「グループディスカッション」で教員、企業の方、学生がまじり6~7班のグループになり、「岡山の将来を担う人材を育成するために、商業高校と企業は何ができるか? またどのような連携が考えられるか。」というテーマで協議を行いました。参加させていただいた学生諸君は、日頃考えたこともないテーマを与えられたり、高校当時の恩師の先生が同じグループにいた学生もおり、相当緊張した時間だったようです。

<グループディスカッション>

その後情報提供ということで、岡山県総合教育センターの川崎好美指導主事より、今求められている研修の内容や今後の研修講座の紹介がありました。川崎指導主事さんは、本学の卒業生です。

続いて、岡山県教育庁高校教育課職業指導班の佐柳勇総括副参事より、商業教育の現状と特色ある教育活動、学習評価、観点別学習の評価の観点、岡山県産業教育審議会の今後の職業系学科の在り方などの報告がありました。

今年の3月に本学を卒業し4月からそれぞれの高校で常勤講師として勤務している先輩方も5人参加されており、お互い顔を合わせたとき先輩後輩の顔になっていました。今年の教員採用試験のことや勤務高校の様子などの情報交換をしていたようです。

(経営学部商学科 吉田 信)

教職特別研修会 「ヤングケアラー・DV・デートDV・虐待」

教職特別講演会「ヤングケアラー・虐待・DV・デートDVに関する研修会」

令和4年7月27日に、本学交流談話室で教職コース1年生~4年生の学生を対象に「ヤングケアラー・虐待・DV・デートDVに関する研修会」を実施し、60数名の学生が参加しました。講師は、法務省人権擁護委員会、岡山県人権擁護委員協議会から6名の方が来てくださいました。

今回の研修会は、学生がそれぞれ事前に次のような課題をもって研修会に参加しました。ある学生は、大学を卒業し中学校や高等学校に勤務するようになった時、「宿題ができなかったのは、病気や障害がある親の代わりに、買い物や料理、掃除をしたり弟や妹の面倒を見ているので、宿題をする時間がなかったといわれたらあなただったらどう対応しますか。」、「クラスの生徒や部活動の生徒が、あざを付けて登校してきた姿を見たとき、あなただったらどのように対応しますか。」、「お父さんからお母さんがお家でよく殴られていて、私はどうしたらいいのかという相談を受けたらあなたはどう対応しますか。」、「クラスの生徒から彼氏が、時々暴力をふるってきて困っているという相談を受けたらどうしますか。」など学校現場に出たら遭遇するような内容に今から向き合おうというものでした。ワークシートを活用しながら、自分の考えをまとめたり、グループや全体で発表し合ったり、自分の考えをまとめていくスタイルで進んでいきました。「今日お花をもらった」という詩の朗読の時、涙ぐむ学生もいました。

アンケートから学生の声を一部ご紹介します。

・データ的にDVを受けた人が思った以上に多くて吃驚した。女性だけでなく男性にも被害者がいることにも驚いた。児童虐待の岡山市の件数が多く、身近にも虐待があるかもしれないと思った。ヤングケアラーも含めて、教員になったら直面する課題だと思うのでもっと知識を身に付けたい。

・私が高校の教員になった時には、LHRや総合的な探求の時間などを活用して、「人権」や「デートDV」などについて「どういう危険性があるのか」「何がそれにあてはまるのか」などをしっかり伝えていきたいと思いました。

・「DVなんか絶対にあり得ない。もしそういったことがあったらすぐに別れる!!」と思っていたが、実際自分がされたらやっぱり怖いという気持ちが優先するのだろうなあと感じた。周りでDVを受けている人がいたら熱心に相談に乗ってあげたいと思った。

・一人一人の個人の意思を尊重しあえる対等な人間関係を築くことの大切さがよくわかった。自分を大切にするというところで、「思っていることは伝えないといけないこと」、「伝え方にも気を付けること」が大切だと思った。今日お花をもらったという詩を聞いていて「自分に何かしてくれるからといって良い人だとは限らないこと」、「相手に違和感を感じたら一度話を聞いてもらい客観的な意見を聞くこと」が大切だと思った。                  

(経営学部商学科 吉田 信)

〈経済学部通信〉岡山商科大学の風景

今回は渡辺先生にご寄稿いただきました。


岡山商科大学のキャンパスを散策してみたいと思います。

正面奥に見える8階建ての建物が7号館です。その前には中庭があり、ピンク色の綺麗なツツジが咲いています。

 

では一旦、中庭に降りてみようと思います。

 

 

きょうは土曜日で、キャンパス内に人はほとんどいません。とても静かです。

7号館に入ってみましょう。

7号館の1階にはパソコン室が設置されています。

 

経済学部の経済データサイエンスコースの授業などで使用されます。

エレベーターに乗って、8階まで上がってみます。8階には大教室があります。履修者の多い授業では、この教室が使われることが多いです。

小規模な教室もあります。研究演習(ゼミ)などで使われることが多いようです。

 

7号館を後にして、再び中庭へ出ます。

右奥に見えているのが図書館棟です。図書館棟の低層階が図書館になっており、6階と7階は教室になっています。図書館棟の7階へ行ってみましょう。

図書館棟7階にあるアクティブラーニングルームです。椅子と机は1組ずつ自由に動かせるようになっています。グループワークなどにも対応できます。

図書館の6階はどうなっているのでしょうか。

6階はパソコン室です。

教室の奥に見えるブラインドを上げて窓を開けてみると、野球場が見えました。

 

散策はこれでおわりです。素敵なキャンパスで、学生生活を送ってみませんか。

(経済学部 渡辺寛之)

 

教職コースフィールドスタディ「日本銀行を見学し、授業・教材作成に活かそう」

教職課程3年生の「商業科教育法Ⅰ」の授業で6月10日に日本銀行岡山支店を見学してきました。

<お札ができるまで>

<あなたの身長はいくら?>

高等学校商業科目「ビジネス基礎」や「ビジネス経済」等の教科書に、金融の単元で日本銀行や地方銀行が出てきます。学生達は大学を卒業すると高校の教壇に立っての授業が待っています。本学では大学生のうちに、教科書に出てくる場所や地域に一度行ってみようという取り組みをしています。その一環として、日本銀行を見学してきました。

同時に教員としての一般教養として身に付けたり、賢い消費者になるためにも社会を知り、世の中を知ることにも努めています。

<岡山の経済動向の講演>

<偽装防止技術の説明>

<潜像模様探し>

学生の感想を少し紹介してみます。

・日本銀行の名前や銀行の銀行ということは聞いたことはあったが、具体的にどんな業務をしたりしているのか、また何処にあるのかも知らなかった。日本銀行は教科書に出てくるレベル程度の意識だった。

・日本銀行と聞くと堅いイメージがあり行くまでは少し怖かったが、いざいってみると「行って良かった。思った以上に楽しかったし教科書に載っていることの100倍ぐらい勉強になった。」

・高校の授業で、日本のお札は海外の国のお札と比べ世界一綺麗と言うことを聞いたことがあったが、その理由がやっと理解できました。

・金融の安定化の仕組みがわかり嬉しかった。目から鱗でした。

・現在円安で135円前後を行ったりきたりしているが、今後の日本経済がとても心配になってきた。

・銀行の各部署(発券課・業務課・総務課)の見学は現場を直接見学でき、また丁寧な説明でとてもよく理解できました。

・「岡山県の経済動向」のご後援では、とてもわかりやすく説明してくださり今後新聞の経済面を見るのが楽しみになりました。

・岡山支店の建物内には、北木島や備前焼などが使われていて地域の特色を感じることが出来とても身近に感じられました。

・今日見学をさせていただきまだまだ知らないことが沢山あり、知識不足を痛感しました。これからの日々の生活で起こることなどを学習と結びつけるための視野をもっと広げ、一つでも多くの知識を身につけてから、教育実習や教員採用試験に臨まなければということを改めて考えるきっかけになりました。

・今日いただいた資料やお話を伺った内容、私の感想などをしっかり整理しておいて、大学卒業後高校の教壇に立ったとき授業で使えると思いました。

  

(商学科 吉田信)

商学科1年合同ゼミ「コミュニケーション力を高めるための研修講座」

毎日新聞岡山支局長さんによる「伝える」!!

令和4年6月10日4校時目、商学科1年教養演習で、合同ゼミ(青木ゼミ、内田ゼミ、吉田ゼミ)の学生を対象に、「伝える」というテーマで、毎日新聞岡山支局の相原洋さんからお話をお聞きしました。

まず、選挙で思いを伝えるというお話を、7月10日の参議院選挙を例にとってお話が始まりました。これから日々のニュースは、選挙に関しての話題が連日続いてきます。その中でどんな情報をつかみ取るか。そして、若者の投票率の数字を示しながら、インタビューの声などから選挙に行かない理由の分析や、新聞などに目を向け自分で考え自分で判断して投票に行ってもらいたいというお話がありました。

そして、新聞ができるまでを新聞社見学DVDで閲覧し、記者が伝えるために考えていること、伝えるために必要な情報の見分け方、メディアリテラシー、新聞記者の基本姿勢にはどんなことがあるか、取材するときの心構え、新聞記事を書く時の心構えなどについてお話しくださいました。

ワークショップでは、仙台市の杜水族館の新聞記事を教材に見出しをつける学習をし、それぞれ全員が自分で考えた見出しを発表しました。一人だけ新聞記事とほぼ同じ見出しを付けた学生さんがおり、大きな拍手をもらっていました。

   

学生の感想を少し紹介してみます。

・プロの新聞記者の方のお話をお聞きすることがなかったので、とても興味を持ってお聞きしました。高校時代に高校野球の取材などで、自分がインタビュー受けたこともあり、取材した後新聞記事が完成するまでの流れや苦労される点などがよく理解できました。

・今の時代我々大学生はスマホを持っているので、情報源はSNSやネットニュースで、事故や事件、スポーツ情報等全てスマホ1台で見ることが出来て事足りています。私にとって新聞は、ゴミを捨てるときや何かを包む時などに使うイメージでした。新聞のイメージが今日のお話で変わってきそうです。

・人と話すときに意識していることは、話し相手の目を見て話すこと、相手と視線を合わせることが大事だと話されていて、自分はどうだろうかと考えてみました。私は相手の目を余り見ずに会話していることが多く、これは改善する必要があると感じました。

・SNSなどの情報は簡単に信じてはいけないこともお話しくださいました。ネット上には膨大な情報がありますが、そんなに誤った内容が多いのかと驚かされました。

・点字新聞がずっと以前から発行されていることに驚きました。今度点字新聞をネットで調べてみようと思いました。

・文章を寝かせるというお話もうーんとうなずきました。私は余り深く考えずにSNSにアップしたりメールしているので今後気をつけなければと考えさせられました。

・新聞記事を読んで見出しを付けるワークショップは、とても私にとっては難しかったです。友達が特別賞を取って凄いなと感心しました。いつかは自分もすぐにも題をつけれるぐらいになりたいと思いました。

・新聞に興味が湧いたので新聞配達のバイトをしようと思いましたが、よく考えてみると朝早く起きるのは私には無理だなと思いました。

・今後はインターネットの情報を信じすぎず、新聞など正確な情報に目を通し間違った情報を広げないよう気をつけて生活していきたいです。

(商学科 吉田信)

〈経済学部通信〉若者は海外へ旅しよう!

今回は宮島先生にご寄稿いただきました。


 高校で教師をしている時に、海外に生徒を引率して旅する機会が多くありました。オーストラリアやニュージーランド、シンガポールやカナダ、グアムなど貴重な経験をしました。特に印象に残ったのは岡山東商業高校に勤務している時に、JENESYS2.0というプログラムでラオス人民民主共和国に高校生19人と国費で派遣されたことです。ラオスは発展途上国で、首都のビエンチャンでも郊外は未舗装の道路でびっくりしたのを思い出します。日本では想像できないことがいっぱいあって生徒は戸惑うばかりでした。マーケットで売っていた昆虫を現地ガイドが生徒に試食させたときの生徒の表情は忘れられません。私はコオロギと虫の幼虫を食べさせられ、あの何とも言えない食感はすごかったです。

ラオスのマーケットにて

ラオスの風景

高校に訪問した時、日本語の上手な女の子が近づいてきて、「私は日本人に生まれたかった!ラオスは何もかもおくれている。」と話しかけられたので、「どこで日本語を覚えたの。」と聞くと。タイで放送されている日本のアニメで勉強した。」というのです。本当に流暢な日本語でした。ガイドさんが言うには、ラオスは貧しいからお金がないと小学校でさえ行けない子がいるどうです。ラオスの高校生朝7時から夕方5時までは無免許でバイクや車を運転してもいいらしく、理由を問うと学校へ通う公共交通機関が未発達だからそうです。生徒たちはそんな話を聞いて、表情が徐々に変化し自分たちがいかに恵まれているかを考えるようになってきました。

 日本のジャイカやNPOがラオスで様々な活動をしていました。ジャイカはODAでダムの建設や道路の整備を行っていました。ラオスで障碍を持って生まれると、家族は外に出さずに閉じ込めるそうです。それに対し日本のNPOがクッキーの工場を作って、障碍者に現金収入をもたらすようにシステムづくりをしていました。また、清潔でないために赤ちゃんの死亡率が高いらしく、若い日本人の看護師や衛生士がその改善を図るべく活動をしていました。

 新型コロナは若者を海外で研修することを拒んできましたが、徐々に海外に行けるようになると思います。日本の大学生はもっと海外に行き、いろいろなことを体験してほしいと思います。異文化を知ることは日本の文化を認識しなおすことができるし、大きく自分を成長させることが出来ると思います。

(経済学部 宮島宏幸)

ビエンチャン王国最後の王・アヌウォン王の像

 

〈経済学部通信〉商大を起点に吉備路をサイクリング

今回は3月に本学をご退職された有利先生にご寄稿いただきました。

(2022年6月9日、一部の文章と写真を改訂しました。)


岡山商大から少し離れると、自然も、古代からの文化も豊かであり、それらに触れることが可能である。商大の北側にある山が烏山、その右側が半田山。インターネットで探してみると、古代の山陽道はその間を通り、津高の津波井に出ていたらしい(別説もある)。その後、西坂が開拓され烏山の南麓を通ったとのこと。

商大の近くに住んでいたころ、散歩は、まず商大から笹が瀬川に出て、自動車の来ない堤防の上を西に向かい一宮高校まで歩き(ここまではサイクリングと同じ道)、その先を右折して楢津の集落内に出る。そこで見上げるとお城(久世建設)があるが、そこへ登る手前の十字路を右折して集落の中の道を商大の方に歩くと左手に若宮八幡宮がある。神社まで、横の車道を駆け上がると、最後は息が上がり、ちょうど手頃な運動になる。さらに、商大に向けて「首部(こうべ)」の集落の中を戻ってくると、 左手奥に白山神社があり、そこには「首塚」がある(写真1、木の葉の間に商大の建物も)。ただし、以前は横に立て札があり、次のように記されていた。

「首塚の伝承は
一 日本武尊が穴の海(過去の瀬戸内海)の悪神を征伐した首
二 木曽義仲が笹ケ瀬合戦で滅ぼした妹尾兼康の首
三 建武三年福山合戦での足利直義軍による大江田(オイダ)氏経軍の首
四 天正七年毛利宇喜多の戦いでの、辛川合戦の首
五 「備中国吉備津宮勧進帳」の文中の吉備津彦命が退治した鬼の首(温羅)
等諸説があり、村名もこれらの事にちなんで首部(こうべ)と成った。
一宮地域活性化推進委員会  」

このあたりが古代から戦場であったという歴史を感じることができたが、残念ながら、現在は撤去され、上記の説「五」だけになっている(温羅はこの地を豊かな米どころにしたということで「米神」)。まさか、掘り起こして鬼の首を確認できたわけでもないだろう。商大まで戻ると、所要時間30分位でちょうどよい散歩コースである。ゼミ生とも、年1回くらい訪れた。それにしても、このおどろおどろしい地名がよく残ってきたものである。

写真1 白山神社の首塚

次に、サイクリングコース。変速機付きの「軽快車」は、私の若いころは憧れであっても手にすることはできなかった。例えていえば、ママチャリを小型の乗用車とすると、レーシングカーに乗るに近い感覚であった。しかし、約10年余り前、憧れの24段サイクリング用自転車を購入した。さすがにドロップハンドルは無理なので、クロスハンドルにした。私の身長でも可能で、値段が手ごろかつ重量が9キログラム程度の軽い、1年落ちのジャイアント製(有名な台湾メーカー)があり、即購入した。

 

写真2 商大正門前

岡山には、整備された専用のサイクリングロードが何本かある(https://www.okayama-kanko.jp/hareiro-cycling/)。そのうち、運動公園から総社・国分寺に向かう道が商大の近くを通っている。4月初旬の晴れた日、14時20分に商大を出発。野球部の練習場の横を抜け、51号線の下をくぐって笹が瀬川の北側の堤防を進むと、約5分で「東楢津自転車歩道橋」に出る。ここで運動公園からの吉備路サイクリング道路に入る。あとは路上に描かれた青い矢印に従って行けば良いだけである。かなり前の出来事だが、土曜日昼にサイクリングに出かけたところ、この橋の手前の用水に男性高齢者がたった今落ちたと、犬の散歩中の女性から話しかけられた。用水は、幸い水量は少ないものの溝自体は結構深い。ちょうど一宮高校の部活帰りの諸君が大勢通りかかったので、引き上げを頼むとともに救急車に来てもらった。彼らはてきぱきと行動し、助け上げてくれた。おかげで、落ちた男性は病院に運ばれたが無事だったと聞いた。私は何をしたか?!。堤防の上で無能な指揮官よろしく口だけでただ眺めていた。また、後日、山陽新聞に匿名投書して高校生の活躍を記事にしてもらった(実はメールアドレスでバレてしまった)。

 

写真3 サイクリング道路へ 

写真4 吉備路自転車道全体

一宮高校の横を通って、国道180号を跨ぐ歩道橋を渡り、ゴルフ練習場のところで笹が瀬川と別れる。以前は、ゴルフクラブのドライバーだと正面のネットの上の方に当たったが、今はそもそもネットまで届くかどうかだろう。その先の、市の一宮浄化センターをだいたい14時40分ころに通過。小さい橋を渡って右折。ここでは、ヌートリアをよく見かけた。最初は、絶滅した日本カワウソがいるのか?と驚いたが違った。今もたくさんいるのだろう。用水に沿って5分くらい進むと左折の標識。堤防からの急な坂を下りるとすぐにJR吉備線の踏切。これを越えて吉備線に沿った道へ右折して入るとすぐに吉備津彦神社の鳥居。ここまでの所要時間は35分間程度。

 

写真5、6 吉備津彦神社

 

今回は、備前一宮駅前にある古民家カフェ「はこきび」によらず、神社を参拝し(神社の紹介は省略)5分程度で出発。田んぼの中の用水に沿って進み、いったん一般車道に出て鼻ぐり塚の前を通過し、吉備津神社へ。15時20分頃に到着。ここに来ると、必ず門前の食堂兼みやげ物屋の店頭で、夏は冷たい・冬は暖かい甘酒(ビン詰め)を飲む。今回は石段下の鳥居の前で参拝して出発。なお、吉備津神社が風格を見せる写真スポットは、広い駐車場にある犬養毅の銅像あたり。ただ、以前より木々が成長して建物が隠れかげんになってきた。吉備津神社出発が15時30分。

 

写真7、8 吉備津神社

 

自転車道に従ってゆくと、天皇休憩地で足守川に出る。実は、途中で矢印を見失い、少し遠回りしてしまった。、ここへの到着は15時45分。次いで鯉喰神社へ15時50分着。さらに、造山古墳を左手に見ながら進み、16時15分、国分寺へ到着。五重塔と周囲の景観は見事という他はない(国分寺の紹介は省略)。今回はここを終着点にした。片道20㎞程度、途中で寄り道をしたため商大を出発してから2時間弱だった。この道程の近傍には、数多くの古代の遺跡がある。前述の神社の他に、楯築遺跡(弥生後期)、鯉喰墳丘墓(温羅伝説:鵜の吉備津彦が鯉の温羅を捕捉)、造山古墳(県下最大、全国で4番目の大きさの前方後円墳)、こうもり塚古墳(県下最大の横穴式石室)、これらの周囲にある数多くの古墳群。

 

写真9 造山古墳

写真10 国分寺

岡山商大を起点に、さらに、足守川を遡って秀吉の水攻めで有名な備中高松城跡、健脚なら鬼ノ城方面、一方、足守川と笹が瀬川の合流地点からさらに南下して岡南飛行場方面へも行くことができる。延々とアパートや住宅が続く大都会地と違って、岡山は、商大の西側の笹が瀬川を渡れば田園風景であり、その中に多くの歴史遺跡がある。梅雨時と真夏日は控えた方が良いが、たまには、エアコンの車中だけでなく、外の空気を吸うのも良いだろう。自動車との接触や用水への転落に気をつけながら、少しばかりの遠出をお勧めしたい。

なお、すでに絶版になっていて残念だが、『自転車古墳散歩』(吉備人出版2012)という本がある。図書館で見ることができれば、参考にしてほしい。

(岡山商科大学名誉教授 有利隆一)

学会学術講演会のお知らせ

岡山商科大学学会は、2022年6月23日(木)15時から、学会学術講演会を開催します。講師には、創業30年でグループ総数58社、従業員数1万3,000名、売上高5,000億円超の総合ヘルスケアサービス企業に急成長した、シップヘルスケアグループ会長の古川國久氏をお招きします。

テーマは「何が起こるかわからない人生を、愉しみ切り拓く。~至誠惻怛と企業経営~」です。“至誠惻怛(しせいそくだつ)”は幕末期に活躍した備中松山藩(現在の岡山県高梁市)の陽明学者、山田方谷が大切にするべき精神として語った言葉です。それを同グループの企業理念とする古川氏から、その言葉にこめられた思いと波乱万丈の人生と重ね合わされる、グループ成長の要因をお聞きします。

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