〈経済学部通信〉思いて学ばざれば即ち殆し

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今回は三谷先生にご寄稿いただきました。


思いて学ばざれば即(すなわ)ち殆(あやう)し

「(自分ひとりで)考えるだけで(他の人から)学ばなければ危ない。」『論語』

 

コロナ禍も3年目に入っている。この間大学での「学び」にも大きな制約がかかった。オンライン授業を余儀なくされ、部活動にも厳しい制限があった。とりわけ、留学生の中には日本に来たくても来れない状態が長く続いている。感染症対策としてやむなくとられた措置だが、大変残念なことである。

実は半世紀前にも同様なことが起こった。大学紛争である。私は当時学部の2年生であった。「学生ストライキ」で約8カ月もの間授業はなかった。それでも何故か留年もせず、無事進級できた。(中には紛争前に留年覚悟で出国し、シベリア鉄道でスウェーデンに行って皿洗いをして金を貯めてヨーロッパ・中近東・インドを旅行し、帰国してみるとちょうど運よく授業再開に間に合い、留年を免れたという強運の者もいた。)しかし、今から思えば失ったものも多かった気がする。そこで、私の学生時代の経験も踏まえて「学ぶ」ということを考えてみたい。

当時大学は就職のためというよりは学問をするために行くところという意識が強かったように思われる。授業の有無にかかわらずよく勉強した。

私は大学の学生寮に住んでいた。旧制高校の木造教室を改造した寮で9人部屋であった。勉強する部屋は真ん中に石炭の達磨ストーブがひとつあって冬場に暖がとれたが、別室の蚕棚のような寝室には暖房はなく、冬の寒い朝には布団の上にうっすら霜が降りるようなところだった。部屋替えまで1年間一切掃除はしないので汚いこと限りないところであった。部屋替え前には「ストーム」と称して部屋対抗の水かけ合戦があった。酔っぱらった勢いでバケツに水を汲んでかけあうのだが、ある時消防ホースで消火栓の水を使った寮生がいて当然ながら大目玉をくらった。

朝晩の食事が付いていた。週に一度「わらじ」のように大きなトンカツが出るので皆楽しみにしていた。食事は夜10時までに食べないと「残食」となり、他の寮生が食べてよいことになっていた。ストで授業がなくなってから、私は日が傾く頃に起きて夕食をとり、10時過ぎに「残食」を食べて、徹夜で勉強して朝食を食べてから就寝するという夜昼逆の「グリニッジ標準時」で生活をしていた。寮にいると先輩・同輩から色々な話を聞くことができて面白かった。勧められた本をたくさん読んだ。中でも、旧ソ連の盲目の数学者ポントリャーギンの本が面白かった。ドストエフスキーの長編小説も理解度はともかくすべて読んだ。たまに大学へ行ってバリケードの中で行われていた自主ゼミでマルクスやエンゲルスの本も輪読した。都会に出て間もないこともあって「疎外」という言葉に共感した。

「ストライキ」期間中は思うがままに時間をたっぷり使って大著・名著に挑むことができた。しかし、今になって思えばやはり授業がなかったことでややバランスを欠いた勉強の仕方ではなかったかと思う。たとえば、統計学はその後の私の仕事で重要な役割を果たしたのにも拘わらず、若い頃まじめに勉強しなかったことを悔いている。政治学でトクヴィルを勉強したはずだが記憶がない。量子化学も単位はとっているが中身は覚えがない…。要するにスト終了後単位をとるためだけに「一夜漬け」で凌いだに過ぎない。

「学ぶ」ということは動機付けと教える人への敬意を必要とする。また、とりわけ教養課程の授業は多くの未知の学問との出会いの場である。その中で先輩・友人との交流や「〇〇先生の謦咳(けいがい)に触れる」という言葉が象徴するような人と人の直接的な交わりが果たす役割は大きい。オンライン授業ではまだまだ置き換えられないように思われる。

(経済学部 三谷)

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