今回は 中国・大連に帰省されていた韓先生にご寄稿いただきました。
凍てつく大地に降り立ったのは、岡山を立って2日後だった。
コロナ禍前ならこっちの家からあっちの家まで半日で行き来できる距離だが、今回は新幹線で成田、中国入国のためのPCR検査、そして4時間遅れの空の便…
でも、母の顔を思い出すと、すべての苦労は蜜の味。
3年間、千日余り、この月日の流れが目見えて感じられたのは、身長も顔だちも見違えるほど成長した甥と姪たち、それともう一つ、スタッスタッと台所を動き回っている母の、やや小さくなったうしろ姿。山ほど伝えたいけれど、口を開けば涙。痩せただの顔色がよくないだのと、みんなの中のわたしの大好きな料理を次から次へと勧められて「はいはい」とばかりで、なぜかどれもしょっぱい味だった。
この3年間、失ったものはいかに大きいことか。

母の暦の今日
明日で新年はひと月が経つ。だが、旧正月はまだ9日、お正月の真っただ中だ。田舎にある実家では一日中爆竹や打ち上げ花火の爆音が響いてくるし、家々に年始回りに訪ねるのを控えて道端で交わされた年始の挨拶が時折聞こえてくる。一声ひとこえは元気がいい。そして家々の入口に高く飾られている赤い提灯、あかあかと兎の年の順風満帆を祈っていよう。

願いがこもった提灯、赤々と
この2、3日、風もなく陽燦々。もう立春だったんよと母は言った。ほんとだ、つい先日姪と一緒にスケートして遊んでいたダムが、もうすでに岸辺から溶け出していた。お昼前に母と2人で裏山を登ったら、黄色一色の山の中腹の日当りのいいところにうっすらと青く芽吹き始めた野草も出たのではないか。すべてが動いているのだ。

ダムの氷上を滑る
この裏山の東側、村を見渡せるところに韓家の墓地があり、父がそこに眠っている。雑木林の中でも遠くから青く茂っている2本の柏が目印だ。古希を迎えた母が守ってくれているこの家を、20年間も黙々と見守り続けてくれており、この先もずっとずっと…

裏山を降り、枯れ枝を薪に持って帰る母
―私たち兄弟3人の心の住処、いつでもどこでも思い出せば心がポカポカ―
わがふるさとよ とわのエナジー
(経済学部・韓)















