【教職フィールドスタディ】裁判所の見学と裁判傍聴

新型コロナウイルスの影響により,学外での活動が十分に行われない中,教職課程で8月初めに実施されたフィールドスタディの様子を紹介します。

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令和3年8月5日,岡山地方裁判所において,「将来高校の教壇に立った時のことを想定し,司法である裁判所の仕組みや役割を知ると同時に,世間や社会,世の中を知り自分の生き方を考える」ことを目的とするフィールドスタディを実施しました。

以下,参加した学生の声を紹介します。

・私は改めて裁判手続きや裁判の流れの「公平性」を知ることができました。この「公正性」は私たちの権利と自由を守るものであり,高校教員になる上でも大切な能力だと思います。私は,将来どんなときでも生徒を公平な目で見られるような教員になりたいと思いました。(4年上杉)

・裁判員裁判で,自分がもしかしたら選ばれるかもしれないと思うと怖さと不安を感じました。(4年矢部)

・裁判所に入ったことがなく初めての体験でどんな所かもわからなかったため少し怖かった。今日は無免許運転した人の裁判を傍聴させていただき考えさせられるものがありました。(3年國澤)

・裁判官の席と教壇が重なって見えました。また,ともに立場や関係が違っても,人と真摯に向き合う姿勢は同じだと感じました。(4年村井)

・学生も生徒も,こういった裁判を傍聴することで,身近な犯罪に対する自己啓発や注意喚起にも繋がる一面もあると思いました。(4年大島)

(担当教員 経営学部商学科・吉田信)

【商学科フィールドスタディ】岡山市内を街歩きしました

  商学科の大石ゼミ(2年生)では,毎年,岡山市中心部を歩き,地理学的な視点から岡山市の都市構造を探る”街歩き”をしています。

今年は7月31日に実施。熱中症が懸念されることから,通常よりも距離を短くして実施しました。

ルートは,岡山駅を出発して路面電車で柳川交差点へ。そこから天満屋,岡山県立図書館を経由して後楽園へと向かいました。

岡山市は岡山城の城下町を中心に発達した都市。今回は,城下町の外側から内側へと進んでいきます。

ここは城下町の外縁部にあたる寺町。城下町を守る砦としての役割も果たしていました。現在もいくつかの寺院を確認することができます。

続いては天満屋,表町商店街付近。表町商店街は江戸時代の商人町を起源としています。効率よく商売を行うために店と店の間隔や道幅が狭くなっており,これが現在の車社会には不向きであることから,地方商店街衰退の一因ともなっています。

中国銀行本店や日本銀行のあるあたりからは,岡山城に仕えていた武士の住む武家屋敷。武家屋敷の敷地は広いため,銀行や官庁などの大型施設が立地します。

県立図書館や県庁のあるあたりは,岡山城の二の丸付近。つまりここは岡山城の中なのです。

現在,岡山城は改修中のため迂回。直接後楽園に向かいます。

そして目的地である後楽園に到着。後楽園は背後にある操山を”借景”としていることが特徴で,後楽園から操山の間は高い建物を建てることが規制されています(写真は反対側ですが…)。

最後は後楽園内の茶屋でかき氷をいただきました。暑い中でしたがお疲れさまでした。

(※前半3つの写真は,実習とは別日に撮影したものを掲出しています。)

 

商学科では学生がビジネスや観光の現場で実践する「フィールドスタディ」を授業の一環として実施しています。この夏にもいくつかの実習が予定されていましたが,新型コロナウイルスの影響で延期となりました。今後,実習の様子については,このブログでお伝えする予定です。

来学型オープンキャンパスについて(8/29、9/11)

岡山県内に「緊急事態宣言」が発令されたことをうけ、8月29日(日)、9月11日(土)に開催予定の来学型オープンキャンパスは、「Web・ライブ型オープンキャンパス」として実施することになりました。

 

◆変更◆

来学型オープンキャンパス 8月29日(日)、9月11日(土)
 ↓
Web・ライブ型オープンキャンパス 8月29日(日)、9月11日(土)

 

なお、総合型選抜説明会は、Web・ライブ型オープンキャンパス内で実施いたします。

※8月29日(日)の来学型オープンキャンパスにお申込みいただいた方には、Web・ライブ型オープンキャンパス参加用の招待URLを本日中にメールでお送りします 💡 

URLが届かない方は、8月27日(金)17時までに入試課へご連絡ください 🙂 

岡山商科大学入試課 電話:086-256-6656 メール:nyusi@po.osu.ac.jp

★ラインでのお問合せも可能です。

岡山商科大学のLINE公式アカウントを友だち登録し、トーク画面より質問を送信してください。後ほど、ご質問にお答えします。

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〈経済学部通信〉大きな声と滑舌

今回は宮島先生にご寄稿頂きました。

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  皆さんは次の詩を聞いたことがありますか。

 

あめんぼ あかいな アイウエオ

うきもに こえびも およいでる

かきのき くりのき カキクケコ

きつつき こつこつ かれけやき

ささげに すをかけ サシスセソ。

そのうお あさせで さしました

たちましょ らっぱで タチツテト

トテトテ タッタと とびたった

なめくじ のろのろ ナニヌネノ

なんどに ぬめって なにねばる

はとぽっぽ ほろほろ ハヒフヘホ。

ひなたの おへやにゃ ふえをふく。

まいまい ねじまき マミムメモ

うめのみ おちても みもしまい。

やきぐり ゆでぐり ヤイユエヨ

やまだに ひのつく よいのいえ

らいちょうは さむかろ ラリルレロ

れんげが さいたら るりのとり

わいわい わっしょい ワイウエヲ

うえきや いどがえ おまつりだ

 

 これは北原白秋の詩です。NHKや民放のアナウンサーや舞台役者、企業の新人研修などで定番になっている発声練習の詩ですね。友達と話すときや家族と話すときは普通に会話ができるが、人前で発表などをするときは声が小さくなってしまう人がなんと多いことか。

ゼミでは大きい声をお腹から出すよう求めているが、その意味をなかなか理解できない学生がいます。プレゼンテーションの構成やストーリーの磨き方を書いた本は多いが、声の出し方山の取り方などを書いた本は意外と少ないことに驚く。私の英語の講義では、少々の文法ミスよりも声の大きい学生のスピーチには加点するが、声の小さい学生は減点するようにしている。この北原白秋の詩を使って力強く言葉を出し、滑舌よく文章を読める練習をしして、相手に確実に伝え、美しい声で話す力を持たせたい。

 どんなに素晴らしい内容のプレゼンテーションでも、それを伝える声が良くないと、相手には評価されないでしょう。上の写真は高校生がお芝居を演じているところですが演劇部員は日頃の発声練習のおかげか、お芝居以外の発表の場でも大いにその力を発揮します。カナダやオーストラリアでは高等教育に演劇が表現力やコミュニケーション能力を身に着けさせるのを目的に一つの教科として存在しているが、日本にはまだ認められて異なことが日本人のプレゼン能力が低いと言われる原因の一つかもしれません。

 

複式呼吸

 相手に届く声を出すには複式呼吸ができないとだめです。正しい姿勢で9秒ぐらい細く長くお腹がへこむように吐き出します。息が全部出たら、お腹の力を抜きます。そうすると空気がおのずと入ってくるので、お腹がふくらむように数秒息を吸います。要するにお腹から声を出す練習をするといいです。相手にはっきりとした声を届ければプレゼンは楽に進みます。この複式呼吸をしながら声を出す練習をすると言葉が力強くなり相手は気持ちよく聞き取ることが出来ます。複式呼吸のやり方はインターネットにたくさん出ているのでそれを参考に練習をしてみてください。

 

早口言葉

 早口言葉でもっとも有名なのはういろううりです。

せっしゃおやかたともうすは、 おたちあいのうちに、

ごぞんじのかたも ござりましょうが、

おえどをたって にじゅうりかみがた、

そうしゅうおだわら いっしきまちを おすぎなされて、

あおものちょうを のぼりへ おいでなさるれば、

らんかんばし とらやとうえもん

ただいまは ていはついたして、えんさいとなのりまする。

がんちょうより、おおつごもりまで、おてにいれまする このくすりは・・・・

このういろううりを毎日練習しているとかなり滑舌がよくなります。最初はなかなかうまく読めないでしょうが、何回も練習するとスラスラと声がでるようになり、他の文章を読むのも案外簡単に読めるようになってきます。是非試してみてください。このういろううりもインターネットで見ることができますから。今日から始めましょう。また、次の早口言葉を三回連続して言えるようチャレンジしてみてください。

  第五交響曲観客驚愕(3回)

  中小商工業振興会議(3回)

  隣の客はよく柿食う客だ。(3回)

  青巻紙黄巻紙赤巻紙(3回)

  バスガス爆発(3回)

 今から練習しておいて、滑舌よく就職試験の面接やプレゼンテーションに臨んでください。あなたもアナウンサーや役者のように美しい声が出てきますよ。

(経済学部 宮島)

 

本学に公益社団法人・被害者サポートセンターおかやま(VSCOヴィスコ )より感謝状を頂きました

本学に公益社団法人被害者サポートセンターおかやま(VSCOヴィスコ )より感謝状を頂きました。

これまで、本学の模擬法廷においてVSCO主催の「被害者支援員養成講座」の一部を行っていただいていたり、本学の学生がフォーラムに参加させていただいたりしております。ありがとうございます。

 

〈経済学部通信〉役に立たない(多分)経済学者案内~こぼれ話~

今回は山下先生にご寄稿頂きました。

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(自然)科学者の伝記を読んだり、エピソードを聞いたりしたことはあるでしょう。たとえば、アイザック・ニュートンやアルベルト・アインシュタイン、そして、日本人なら湯川秀樹。この人たちの学問上の業績はよく知らなくても、この人たちにあこがれて科学者を目指す人がいます。また、学生や研究者ならば、こういった先達のエピソードや人となりを知り、「なぜこんな考え方がでてきたのだろう」という疑問に答えを得ることがあります。実は、経済学でも同じことがあるのです。そこで、今回は経済学にとってのニュートンと呼んでもよいアダム・スミスの人となりやエピソードを紹介していきます。学説史的なことは専門外ですのであまり述べません。もし、アダム・スミスという人に興味をもち、親しみを感じたら、彼の著書(文庫本であります)や研究書を読んでみてください。

【アダム・スミス】1723-1790、スコットランド生まれ

アダム・スミスの名前を知らない人はいないでしょう。彼は「経済学の父」と呼ばれています。代表的な著作は、「見えざる手」という言葉が有名な「国富論」(1776)、正式な名前はもうすこし長く「諸国民の富の本質と原因についての考察」と言います。現在に至るすべての経済学者と経済学部生はアダム・スミスの弟子と言ってもよいでしょう。

さて、この偉大なるアダム・スミスは、内向的で、さらに子どものころから放心癖(ぼ~っとする癖)がありました。実は、スミスは3歳か4歳のときに誘拐に遭っています。おそらく、ぼーっとしていたところをさらわれたのでしょう。さらっていったのは放浪していたスリの一味でした。早速、スリは幼いスミスを使って「仕事」を始めたのですが全然役に立ちません。何せ、スミスは人見知りです。記録ではスミスはすぐに親元に連れ戻されたとありますが、実際は送り返されたのでしょう。(多分、元いたところに戻された。)しかし、このまま、スミスが帰らなかったら現在のような経済学は存在しなかったでしょう。放心癖のほうは生涯続いたそうで、あるときは書類に署名するとき前に書いた人の名前をそのまま書き写す、役人をしていたときは目の前で守衛の兵隊が捧げ銃(ささげつつ)をしたとき、自分も持っていたステッキで反射的に同じ姿勢をとる、議論に集中していてお茶を入れるはずのポットに茶葉の代わりにバター付きのパンを入れお湯を注ぎ飲んでから気づく(まずかったそうです。)、国富論の執筆中にはガウンを羽織ったまま25km近く散歩したということが記録されています。

さて、スミスは14歳でスコットランドのグラスゴー大学に入学し、道徳哲学を学びます。卒業後、17歳で当時の出世コースの王道として英国国教会の聖職者になるべくイングランドのオックスフォード大学に進学しますが、当時のオックスフォードの教師連のやる気のなさ(岡山商大とは大違いです。)にがっかりして23歳で中退します。オックスフォードの教師の様子はスミスにとってはショックだったようで、中退から30年後に著した「国富論」に「オックスフォードの教師は教えるふりすらしない」と記しています。その後、スコットランドに戻り、エディンバラ大学を経てグラスゴー大学に戻り道徳哲学教授に就任します。退職後はフランスに渡ったりもしますが、スコットランドに戻り、エディンバラで生涯を終えます。そして、死の直前には未発表の原稿は全部燃やすように命じました。(しかし、一部は残り現在出版されています。)

スミスの代表的な著作には前述した「国富論」より前に書かれた(正確には講義録)「道徳感情論」(1759)があります。タイトルからもわかるように人の感情に注目し、利己心、共感、道徳性の形成など内面を深く掘り下げています。ここに彼の内向的な性格がよい具合に生きています。これは17年後に著された「国富論」にも生かされています。「国富論」を読んでいくと気づくのですが、まるでスケッチでもしているように当時の社会を言葉で描写しています。このまま映像化できそうなほどです。ただ、表面的な描写にとどまらず、社会組織(市場や国家)や経済活動(分業など)、経済現象(独占価格の決定など)の背後にある人の心理(特に感情)についての洞察がその都度記されています。そして、それらの記述から「各人が各様に自分の利益を追求する経済的自由をもつ社会が良い」というスミスの信念(あるいは強力な主観)が見えてきます。ただし、スミスは富裕層や権力者といった特権階級のみが好き勝手に振る舞い利益を得ることを擁護しているのではありません。あらゆる層の国民の繁栄を犠牲にして強者のみが反映することについては、重商主義批判のなかで批判しています。「重商主義の諸規制においては、・・・製造業者(注)特定の生産者といったような意味)の利益はきわめて格別の注意を払われてきた。そして、消費者の利益というよりは、・・・製造業者の利益の犠牲にされてきたのである」(「国富論」第4編第8章「重商主義についての結論」より)とあります。また、スミスは当時の英国の植民地支配にも批判的でした。「国富論」に出版年を思い出してください。1776年。奇しくも英国に対して、当時植民地であったアメリカが独立宣言を発した年でありました。

 

さて、普段私は経済理論を講義し、また、研究しています。現在の理論は、多くの場合、新古典派経済学のガチガチの仮定のもとで高度に抽象化されています。確かに議論を進めるためには仮定や抽象化は必要です。ジョーン・ロビンソン(1903-1983、英国の女性経済学者)が言ったように「縮尺1分の1の地図は役立たない」のです。(地図は高度に抽象化されていますね。)

 とは言え、そんな中にずっといると経済学が「日常生活を営んでいる人間についての研究」(アルフレッド・マーシャル(1842-1924、英国の経済学者))であることを忘れ、ただの計算屋になったような錯覚に陥ります。そのような状態から抜け出すために、(専門分野ではない)経済学説史や経済学者の伝記(に近いもの)に目を向けるようにしています。そうすることで「経済学の豊かさ」を確認できるのです。

(経済学部 山下賢二)