〈経済学部通信〉最適技術とは何か?

今回は佐藤先生にご寄稿いただきました。


  中村 哲(なかむら てつ)氏は、医師 として、パキスタン や アフガニスタンでの医療活動により、多数の人々を救済してきた。また、2019年12月に武装勢力に銃撃され、この世を去ったことは、既に多くの人々の知るところである。

 中村氏の活動の根源は、「社会的弱者の救済」にあった。もちろん、ご専門が医師であるから、病気で苦しむ人々を救済することが主要な活動であった。しかしながら、医師としての活動だけでなく、食料不足で困窮する人々のため、大地を潤し、豊かな実りにより、飢餓から人々を解放するためにも多大の貢献を為されたことをご存じでしょうか?

 今回のブログでは、「医師としての中村 哲」ではなく、農業・農村振興に尽力された氏の姿に焦点を当ててみたい。中村氏は、医師でありながら、農業用水路を築造し、アフガニスタンの乾いた大地を水で潤し、貧しい人々に食料確保のチャンスを提供したのである。

 中村氏が赴任した当初は、アフガニスタンでは、食料不足や病気で多数の人々が死亡していた。氏は、「この国の問題の根源はどこにあるのだろう」と考え続け、「根本原因が【水不足】にある」と気付いたそうです。国土の大半が乾燥地域にあるアフガニスタンでは、水不足のため、必要量の食料生産が困難であり、この食料不足が人々の健康に大きな影響を与えていたのである。

 そこで、氏は、「新たに用水路を作り、アフガニスタンの大地に水を供給し、食料生産増加」の取り組みを開始したのです。本ブログでは、【緑の大地計画】と呼ばれている、中村氏がリーダーとなって実施した、「水利施設」築造に関わる苦難の活動の中から、筆者が、極めて大切であると考える「知見」についてご紹介するものである。

 1991年、中村氏は医師として派遣されていたパキスタンから、隣国アフガニスタンの険しい山岳地帯に初の診療所を作り、多くの人の命を救っていた。そして医療活動だけではなく、1600本もの井戸を掘り、戦災と干ばつに襲われたアフガニスタンを、なんとか救おうとしていた。しかし地下水の枯渇を恐れたアフガニスタン政府は、井戸掘りの禁止を命じた。

 中村氏は、方針転換を余儀なくされ、河川の水を農地で利用するための【緑の大地計画】を発表し、用水路の建設に着手したのである。アフガニスタン東部を流れるクナール川に堰を築き、それによって水を用水路に引き込み、乾いた大地へ送水する計画である。

 しかしながら、この工事は、大変な難事業であった。河の流れが速く、大量の土砂も含んでいたため、築いた堰は、濁流によって容易に破壊されたそうである。とくに、十分な資金もないため、鉄筋コンクリートなどを利用した近代土木技術を利用できる状況にはなく、人力で大きな石を河川に投入し、それによって「堰」を築造し、河川水を用水路に導水しようとしたのである。しかしながら、河川に投入した石は、たとえ巨岩であっても、河川の巨大な水圧には対抗できず、容易に崩壊したそうである。

 悩み抜いた中村氏は、何度となく故郷(福岡市)を訪れ、古老の話などを見聞し、福岡県朝倉市を流れる1級河川・筑後川の中流にある『山田堰』と呼ばれている「取水堰」を見学したそうである。この「堰」(通称、斜め堰と呼ばれている)は、江戸時代に築造されたものであり、したがって、鉄筋コンクリートも使用せず、単に、石を積み上げただけの堰である。中村氏は、この「斜め堰」は、近代的建設材料が全く利用できないアフガニスタンでは、「最適な土木技術である」と思い至るのである。

 この堰の特徴は、「堰が河川の流れる方向に対して斜めになっている」ことであり、このことが重要な意味を持っている。つまり、「石を河川の流れに対して、最も水圧を受けにくい斜めの角度」で積み上げることにより、河川水位を上昇させ、河川の側面に築造した水路に水を送り込み、その水を農地へ送水するのである。この「斜め堰」は、岡山県の旭川の中でも見つけることが出来る(江戸時代に築造)。

 

★要するに、読者の皆様に伝えたいことは、【時代の最先端技術=最適技術】ではないということである。最適技術とは、その技術を利用できる人々(あるいは、社会)の知識レベル・技術レベル・資金力レベル等々の諸条件の中で考えなければならないということである。

本文作成における主要な情報は、下記より引用

   https://www.fnn.jp/articles/gallery/198958?image=9

大学祭2022の開催日

2022年度の大学祭はコロナウイルス感染症拡大防止の観点から、10月15日(土)、16(日)から、12/10(土)、 12/11(日)に延期しました。
※コロナ感染者の推移によって更に延期/中止の恐れもございます。
※2日間かけて対面(非オンライン)で開催の予定です。

詳しくは2022年度大学祭ページにて報告していきます。

 

催し物

※ 一部です。今後、変更の可能性ございます。

  1. コンサート
    1. 招待アーティスト/お笑いの方は未定。
  2. 模擬店
    1. 外部の方の出店も可能になる予定
  3. e-sports

〈経済学部通信〉あの思いこの思い

今回は韓先生にご寄稿いただきました。


 早朝五時ごろ目が覚めるや否や、蝉の大合唱がすでに始まった。出窓の網戸に一匹が飛びつき、耳いっぱいに訴えてきた。けなげな君だなと眼をやりながら、すっと身も心も軽やかに感じてきた。

 大暑入りしてから、いつの間にか蝉が一斉に出そろった。夏の宴を盛り上げんがための勢いだ。人の世に束の間のゲスト出演だとはいえ、さっと訪れ、わっとクライマックスへと、そしてほどなくひっそりと去っていく。その潔さが何とも言いがたい。

 「ねえ、聞こえてる?うちのほうも、蝉が鳴き始めたよ。いっぱい集ってるんよ、庭先のあのナツメの木に。」と、ほぼ同じタイミングに母から音声メッセージが入って来た。

 あのナツメの木かぁ。

 父が植えてくれた木だ。

父は他界して今年で20年。この20年の間、一番下の弟も結婚し二人の息子を育て、その長男は今9月から高校生になる。一方、母は孫たちの世話を終え、田舎の実家に戻って一人暮らしを選んだ。野菜の栽培や、鶏、犬、そして猫たちのことで毎日忙しく動いている。何より、勉強や習い事の合間に戻って来た孫たちを、心いっぱいの手料理を作って迎えるのが至福のようだ。寂しくなんかしてないよ、だって、この家、お父さんとの思い出がいっぱい詰まっているもん、と朗らかな母。

 この20年間を、母は父のことをどう思って過ごしてきたのかずっと気になっていたわたしだったが、母のその言葉に救われている。

 

 さて、あなたは?何かを残したのだろうか。

 蝉時雨の中、つながっている空を眺めつつ胸の奥から聞こえた、

「我、此処に有り」と。

 

庭先に父が植えてくれたナツメの木

 

夕日が映える母の散歩道

〈経済学部通信〉「戦争は女の顔をしていない」を読んで

今回は両角先生にご寄稿いただきました。


今回は,私が最近読んで衝撃を受けた本を一つご紹介して,お茶を濁しておくとします。

 その本はこれです。

  スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』
  (三浦みどり訳,岩波現代文庫,2016年)

  (以下の文中でのページ数はこの文庫本のもの。)

 

 ★  ★  ★

 

第2次世界大戦の帰趨を決したのが,ナチス・ドイツとソビエト連邦間の戦争(独ソ戦)であったこと。つまり,ナチス・ドイツは本質的にソ連・赤軍(アメリカ,イギリスから支援を受けながらではあったが)に敗れたのだということ。この勝利の代償としてソ連は,他国とはケタ違いの戦死者(2000万以上と言われる)を出したこと。こうしたことは今ではよく知られるようになっただろうか。ソ連・赤軍の勝利にともなう事象は,映画などでもさまざまに描かれており,本書でも触れられている。

「勝利だ! 勝利だ! <降伏>はともかく<勝利>は私たちにも理解できた。『戦争が終わった。戦争が終わったんだ!』手元の銃を発射する者,涙を拭う者,踊りまわる者。『生き延びたんだ! 生きてるんだ!』」(p.181)。

このような歓喜の爆発があり,ジューコフの凱旋パレードもあり,祝祭気分に満ちたひと時があったことは,十分理解できる。(他方,ソ連・赤軍の占領地域での略奪・暴行など,勝利の暗黒面も次第に明らかにされている。)

しかし,当然と言えば当然ながら,私たちの知るところはあまりに少ない。知らなかったことが無限にあると言える。たとえば,ソ連・赤軍の勝利にともなって,次のような出来事もあったとは,本書を読むまで私は知らなかった。

ドイツ軍の捕虜となっていた女性兵士が解放された。「そのうちの一人が妊娠していた。一番きれいな子。捕虜になって雇われていたそこの主人に犯された。主人と寝ることを強要された。その子は泣いて自分のお腹をたたいていた。『ドイツ人の子供なんか,連れて帰れない』と。女の子たちは説得した・・・でも,その子は首を吊ってしまった」(p.446)。

本書に収められているのは,このような元女性兵士一人一人の肉声である。ありふれた日常生活から途方もない大波に巻き込まれた人たち,「大きな物語に投げ込まれてしまった,小さき人々の物語」(p.63. 著者の言葉)である。

ソ連・赤軍に従軍した女性兵士は総数約100万人と推定されている。その多くはコムソモールからの志願者であった模様である。衛生・看護兵として従軍した人が多いようだが(これは他国でも例がある),そればかりではない。通信・兵站など,比較的後方の勤務から,狙撃兵,戦車兵,砲兵,工兵,パイロット,パルチザンに至るまで,最前線で戦った女性兵士も数多い。

戦後,それらの女性兵士たちは,例外なく固く口を閉ざして,戦地での経験を語ろうとしなかったという。それはなぜだろうか。

第一に,自分たちの経験があまりに凄惨で,言葉にできなかったということが考えられるだろう。彼女たちは,たとえば,「味方の兵士たちがライフルだけでドイツ軍の戦車に飛びかかっていった」のを目撃したのだ。「銃床で装甲板をたたいているのを見たことよ。たたいて,わめいて,泣いてたわ,倒れるまで」(p.69)。忘れたくても生涯忘れられない場面だと語られている。ある赤軍伍長が語るところでは,「補充兵がやって来る・・・来たと思ったら,もういないんだから。二,三日のことさ。1942年のことだった。一番つらい,困難な時だった。300人いたうち,その日の終わりには10人しか生き残っていないこともあった」(p.473)。

そのような戦場で彼女たちは,数十キロの重さの砲弾を担いで運び,敵軍と撃ち合い,弾雨の中で負傷兵を引きずって救け,休む間もなく手当てや看護に当たった。「戦地では半分人間,半分獣という感じ。そう・・・ほかに生き延びる道はなかったわ。もし,人間の部分しかなかったら,生き延びられなかった。首をひねられちゃう」(p.98)。肉体と精神の極限的酷使が身体の変調をもたらすのは当然のことでもあろう。「身体そのものが戦争に順応してしまって,戦中,女のあれが全く止まってしまいました。戦後子供を産めなくなった女の人がたくさんいました」(p.297)。

第二に,そこまでの自己犠牲を払って,どうにか生き延びて復員した後,命がけで守った祖国で待ち受けていた境遇を考えねばならない。ソ連政府が,前線の悲惨さを極力隠そうとしていたという事情はあった。しかし,それ以上に深刻だったかもしれない仕打ちを受けたようだ。これも私は知らなかった。

狙撃兵だったある女性が言う。「男たちは黙っていたけど,女たちは? 女たちはこう言ったんです。『あんたたちが戦地で何をしていたか知ってるわ。若さで誘惑して,あたしたちの亭主と懇ろになってたんだろ。戦地のあばずれ,戦争の雌犬め・・・』ありとあらゆる侮辱を受けました」(p.367)。にわかに信じられないような話なのだが,そういう心ない言葉もあったのだろう。元兵士だった男性の証言もある。「私の妻は馬鹿な女じゃないが,戦争に行っていた女たちのことを悪く言っている。『花婿探しに行っていたんでしょう』『恋に血道をあげていたんでしょう』と。実際は女の子たちはまじめだった。ほとんどが純潔だった」(p.136)。軍の看護長だったある女性は,三回も負傷した末に復員したのだが,身内はおらず,生活に困窮し掃除婦の仕事で何とか暮らしていた。しかし,自分が傷痍軍人(補償を受けられる)だということを誰にも明かさず,その証明書も破り捨てたという。「『どうして破ってしまったの?』と訊くと『そんなもの持ってたら誰が私なんかと結婚してくれる?』と泣くんです」(p.164)。

そのような状況下で口を閉ざして生きてきた元女性兵士たちが,戦後40年ほど経過したころから,自分の経験を語り始めた。相当の年配となって,ようやく語れる気分となったものだろうか。また,「黙ったままで人生を終わってたまるか」という気分もあったらしい。ある元女性兵士はこう訴える。「あたしたちが死んだあとは何が残るんでしょう? あたしたちが生きているうちに訊いておいて。あたしたちがいなくなってから作り事をいわないで。今のうちに訊いてちょうだい」(p.40)。そうして集められた大量の聞き書きが原著に収録されたのだが,原著の初版は1984年刊行,ペレストロイカの直前に強い検閲を受けながらの刊行だった。(削除された個所はその後の版で復元された。)

ところで,白状すると私は「ジェンダー」に関する議論にはまったく疎い。ほとんど無知だと言ってもよい。そんな私から見ると,元女性兵士たちが,地獄の戦場にあって「女らしさ」への渇望を抱いていたという証言は,興味深く感じられる。また,そこには一種のユーモアさえ感じられるのだが,それも歳月の経過のためであろうか。そういった証言をいくつか引用しておく。

二等兵:「戦争で一番恐ろしかったのは,男物のパンツをはいていることだよ。これはいやだった。これがあたしには・・・うまく言えないけど・・・・第一とてもみっともない・・・。祖国のために死んでもいい覚悟で戦地にいて,はいているのは男物のパンツなんだよ」(p.124)。

海軍一等兵:「ちょっとでも休憩がもらえると,何か刺繍をしたり,ゲートルを肩掛けに作り変えたり,何かしら女らしい手仕事がしたかった。女らしいことに飢えていました」(p.160)。

軍曹(通信班長):「私たちは土の中で暮らしていました,モグラみたいに。それでも何かしらどうでもいい小物をかざっていました。たとえば春には小枝をビンに差したりして。明日自分はもうこの世にいないのかもしれないと,ふと思って・・・」(p.285)。

このような「女らしさ」への渇望は,上に引いた「半分人間,半分獣」という前線兵士の「人間」の部分を支えていたのではなかったか。そのように受け取るのは誤りだろうか。

ともあれ,ソ連・赤軍の女性兵士たちは,女性であったがゆえに,男性と比して二重,三重に苛烈な人生を過ごし,ある人は戦死し,ある人は生き延びた。どのページを開いても胸が痛くなるような証言が記録されている本で,読んでいてつらくもなるのだが,現代史に興味のある方にはご一読をお勧めする。

(経済学部 両角)

教職フィールドスタディ 「岡山県高等学校商業教育研究大会に参加して」

教職フィールドスタディとして、「岡山県高等学校商業教育研究大会」に本学学生が参加しました!!

令和4年8月4日に、「第52回岡山県高等学校商業教育研究大会」(会場:ピュアリティまきび)に本学学生が参加させていただき、現職の高校の先生方といっしょに研修を行いました。この研修会は、岡山県下の商業科及び商業関連学科を設置する公私立併せて33校から、現職の先生方が一堂に会し研究協議を行う研修会です。今年はコロナ禍ということもありましたが、105名の先生方と岡山県産業教育振興会、中小企業家同友会から23名の方が参加されていました。本学からはちょうど前期最終試験と重なったため、2年~4年までの商業免許と情報免許の教職コースの学生5名が参加させていただきました。

今回の研究テーマは、「超スマート社会の到来に対応し、地域の未来を創る商業(ビジネス)教育の実現 ~商業教育の学力観の確立~」で、このテーマにもとづき研究会がスタートしました。

午前は、講演会で岡山トヨタ自動車(株)代表取締役社長の梶谷駿介様から「地域の未来を創る共育」というテーマでお話をお聞きしました。最初に人間とは何かを問うことから始まり、人との違いをどう生かすか、人と違っていてそれでいい。その子がその気になったら一気に変わる。人はそんな可能性を秘めている。教育の本質とは何か。SDGsと教育。商業高校への期待の中では、商業の原点はなにか。改めて大学に行く意義を問い直してほしい。そして地域の未来を創る鍵は、教師が生徒とともに学び合う姿勢が大切など学生が聴いても大変わかりやすい内容でした。

<講演会>

また午後からは、「中小企業家同友会と考える人材育成」というテーマで、前半が企業の方と教員による「パネルディスカッション」が行われました。そして後半は「グループディスカッション」で教員、企業の方、学生がまじり6~7班のグループになり、「岡山の将来を担う人材を育成するために、商業高校と企業は何ができるか? またどのような連携が考えられるか。」というテーマで協議を行いました。参加させていただいた学生諸君は、日頃考えたこともないテーマを与えられたり、高校当時の恩師の先生が同じグループにいた学生もおり、相当緊張した時間だったようです。

<グループディスカッション>

その後情報提供ということで、岡山県総合教育センターの川崎好美指導主事より、今求められている研修の内容や今後の研修講座の紹介がありました。川崎指導主事さんは、本学の卒業生です。

続いて、岡山県教育庁高校教育課職業指導班の佐柳勇総括副参事より、商業教育の現状と特色ある教育活動、学習評価、観点別学習の評価の観点、岡山県産業教育審議会の今後の職業系学科の在り方などの報告がありました。

今年の3月に本学を卒業し4月からそれぞれの高校で常勤講師として勤務している先輩方も5人参加されており、お互い顔を合わせたとき先輩後輩の顔になっていました。今年の教員採用試験のことや勤務高校の様子などの情報交換をしていたようです。

(経営学部商学科 吉田 信)

教職特別研修会 「ヤングケアラー・DV・デートDV・虐待」

教職特別講演会「ヤングケアラー・虐待・DV・デートDVに関する研修会」

令和4年7月27日に、本学交流談話室で教職コース1年生~4年生の学生を対象に「ヤングケアラー・虐待・DV・デートDVに関する研修会」を実施し、60数名の学生が参加しました。講師は、法務省人権擁護委員会、岡山県人権擁護委員協議会から6名の方が来てくださいました。

今回の研修会は、学生がそれぞれ事前に次のような課題をもって研修会に参加しました。ある学生は、大学を卒業し中学校や高等学校に勤務するようになった時、「宿題ができなかったのは、病気や障害がある親の代わりに、買い物や料理、掃除をしたり弟や妹の面倒を見ているので、宿題をする時間がなかったといわれたらあなただったらどう対応しますか。」、「クラスの生徒や部活動の生徒が、あざを付けて登校してきた姿を見たとき、あなただったらどのように対応しますか。」、「お父さんからお母さんがお家でよく殴られていて、私はどうしたらいいのかという相談を受けたらあなたはどう対応しますか。」、「クラスの生徒から彼氏が、時々暴力をふるってきて困っているという相談を受けたらどうしますか。」など学校現場に出たら遭遇するような内容に今から向き合おうというものでした。ワークシートを活用しながら、自分の考えをまとめたり、グループや全体で発表し合ったり、自分の考えをまとめていくスタイルで進んでいきました。「今日お花をもらった」という詩の朗読の時、涙ぐむ学生もいました。

アンケートから学生の声を一部ご紹介します。

・データ的にDVを受けた人が思った以上に多くて吃驚した。女性だけでなく男性にも被害者がいることにも驚いた。児童虐待の岡山市の件数が多く、身近にも虐待があるかもしれないと思った。ヤングケアラーも含めて、教員になったら直面する課題だと思うのでもっと知識を身に付けたい。

・私が高校の教員になった時には、LHRや総合的な探求の時間などを活用して、「人権」や「デートDV」などについて「どういう危険性があるのか」「何がそれにあてはまるのか」などをしっかり伝えていきたいと思いました。

・「DVなんか絶対にあり得ない。もしそういったことがあったらすぐに別れる!!」と思っていたが、実際自分がされたらやっぱり怖いという気持ちが優先するのだろうなあと感じた。周りでDVを受けている人がいたら熱心に相談に乗ってあげたいと思った。

・一人一人の個人の意思を尊重しあえる対等な人間関係を築くことの大切さがよくわかった。自分を大切にするというところで、「思っていることは伝えないといけないこと」、「伝え方にも気を付けること」が大切だと思った。今日お花をもらったという詩を聞いていて「自分に何かしてくれるからといって良い人だとは限らないこと」、「相手に違和感を感じたら一度話を聞いてもらい客観的な意見を聞くこと」が大切だと思った。                  

(経営学部商学科 吉田 信)

〈経済学部通信〉岡山商科大学の風景

今回は渡辺先生にご寄稿いただきました。


岡山商科大学のキャンパスを散策してみたいと思います。

正面奥に見える8階建ての建物が7号館です。その前には中庭があり、ピンク色の綺麗なツツジが咲いています。

 

では一旦、中庭に降りてみようと思います。

 

 

きょうは土曜日で、キャンパス内に人はほとんどいません。とても静かです。

7号館に入ってみましょう。

7号館の1階にはパソコン室が設置されています。

 

経済学部の経済データサイエンスコースの授業などで使用されます。

エレベーターに乗って、8階まで上がってみます。8階には大教室があります。履修者の多い授業では、この教室が使われることが多いです。

小規模な教室もあります。研究演習(ゼミ)などで使われることが多いようです。

 

7号館を後にして、再び中庭へ出ます。

右奥に見えているのが図書館棟です。図書館棟の低層階が図書館になっており、6階と7階は教室になっています。図書館棟の7階へ行ってみましょう。

図書館棟7階にあるアクティブラーニングルームです。椅子と机は1組ずつ自由に動かせるようになっています。グループワークなどにも対応できます。

図書館の6階はどうなっているのでしょうか。

6階はパソコン室です。

教室の奥に見えるブラインドを上げて窓を開けてみると、野球場が見えました。

 

散策はこれでおわりです。素敵なキャンパスで、学生生活を送ってみませんか。

(経済学部 渡辺寛之)

 

教職コースフィールドスタディ「日本銀行を見学し、授業・教材作成に活かそう」

教職課程3年生の「商業科教育法Ⅰ」の授業で6月10日に日本銀行岡山支店を見学してきました。

<お札ができるまで>

<あなたの身長はいくら?>

高等学校商業科目「ビジネス基礎」や「ビジネス経済」等の教科書に、金融の単元で日本銀行や地方銀行が出てきます。学生達は大学を卒業すると高校の教壇に立っての授業が待っています。本学では大学生のうちに、教科書に出てくる場所や地域に一度行ってみようという取り組みをしています。その一環として、日本銀行を見学してきました。

同時に教員としての一般教養として身に付けたり、賢い消費者になるためにも社会を知り、世の中を知ることにも努めています。

<岡山の経済動向の講演>

<偽装防止技術の説明>

<潜像模様探し>

学生の感想を少し紹介してみます。

・日本銀行の名前や銀行の銀行ということは聞いたことはあったが、具体的にどんな業務をしたりしているのか、また何処にあるのかも知らなかった。日本銀行は教科書に出てくるレベル程度の意識だった。

・日本銀行と聞くと堅いイメージがあり行くまでは少し怖かったが、いざいってみると「行って良かった。思った以上に楽しかったし教科書に載っていることの100倍ぐらい勉強になった。」

・高校の授業で、日本のお札は海外の国のお札と比べ世界一綺麗と言うことを聞いたことがあったが、その理由がやっと理解できました。

・金融の安定化の仕組みがわかり嬉しかった。目から鱗でした。

・現在円安で135円前後を行ったりきたりしているが、今後の日本経済がとても心配になってきた。

・銀行の各部署(発券課・業務課・総務課)の見学は現場を直接見学でき、また丁寧な説明でとてもよく理解できました。

・「岡山県の経済動向」のご後援では、とてもわかりやすく説明してくださり今後新聞の経済面を見るのが楽しみになりました。

・岡山支店の建物内には、北木島や備前焼などが使われていて地域の特色を感じることが出来とても身近に感じられました。

・今日見学をさせていただきまだまだ知らないことが沢山あり、知識不足を痛感しました。これからの日々の生活で起こることなどを学習と結びつけるための視野をもっと広げ、一つでも多くの知識を身につけてから、教育実習や教員採用試験に臨まなければということを改めて考えるきっかけになりました。

・今日いただいた資料やお話を伺った内容、私の感想などをしっかり整理しておいて、大学卒業後高校の教壇に立ったとき授業で使えると思いました。

  

(商学科 吉田信)

商学科1年合同ゼミ「コミュニケーション力を高めるための研修講座」

毎日新聞岡山支局長さんによる「伝える」!!

令和4年6月10日4校時目、商学科1年教養演習で、合同ゼミ(青木ゼミ、内田ゼミ、吉田ゼミ)の学生を対象に、「伝える」というテーマで、毎日新聞岡山支局の相原洋さんからお話をお聞きしました。

まず、選挙で思いを伝えるというお話を、7月10日の参議院選挙を例にとってお話が始まりました。これから日々のニュースは、選挙に関しての話題が連日続いてきます。その中でどんな情報をつかみ取るか。そして、若者の投票率の数字を示しながら、インタビューの声などから選挙に行かない理由の分析や、新聞などに目を向け自分で考え自分で判断して投票に行ってもらいたいというお話がありました。

そして、新聞ができるまでを新聞社見学DVDで閲覧し、記者が伝えるために考えていること、伝えるために必要な情報の見分け方、メディアリテラシー、新聞記者の基本姿勢にはどんなことがあるか、取材するときの心構え、新聞記事を書く時の心構えなどについてお話しくださいました。

ワークショップでは、仙台市の杜水族館の新聞記事を教材に見出しをつける学習をし、それぞれ全員が自分で考えた見出しを発表しました。一人だけ新聞記事とほぼ同じ見出しを付けた学生さんがおり、大きな拍手をもらっていました。

   

学生の感想を少し紹介してみます。

・プロの新聞記者の方のお話をお聞きすることがなかったので、とても興味を持ってお聞きしました。高校時代に高校野球の取材などで、自分がインタビュー受けたこともあり、取材した後新聞記事が完成するまでの流れや苦労される点などがよく理解できました。

・今の時代我々大学生はスマホを持っているので、情報源はSNSやネットニュースで、事故や事件、スポーツ情報等全てスマホ1台で見ることが出来て事足りています。私にとって新聞は、ゴミを捨てるときや何かを包む時などに使うイメージでした。新聞のイメージが今日のお話で変わってきそうです。

・人と話すときに意識していることは、話し相手の目を見て話すこと、相手と視線を合わせることが大事だと話されていて、自分はどうだろうかと考えてみました。私は相手の目を余り見ずに会話していることが多く、これは改善する必要があると感じました。

・SNSなどの情報は簡単に信じてはいけないこともお話しくださいました。ネット上には膨大な情報がありますが、そんなに誤った内容が多いのかと驚かされました。

・点字新聞がずっと以前から発行されていることに驚きました。今度点字新聞をネットで調べてみようと思いました。

・文章を寝かせるというお話もうーんとうなずきました。私は余り深く考えずにSNSにアップしたりメールしているので今後気をつけなければと考えさせられました。

・新聞記事を読んで見出しを付けるワークショップは、とても私にとっては難しかったです。友達が特別賞を取って凄いなと感心しました。いつかは自分もすぐにも題をつけれるぐらいになりたいと思いました。

・新聞に興味が湧いたので新聞配達のバイトをしようと思いましたが、よく考えてみると朝早く起きるのは私には無理だなと思いました。

・今後はインターネットの情報を信じすぎず、新聞など正確な情報に目を通し間違った情報を広げないよう気をつけて生活していきたいです。

(商学科 吉田信)

〈経済学部通信〉若者は海外へ旅しよう!

今回は宮島先生にご寄稿いただきました。


 高校で教師をしている時に、海外に生徒を引率して旅する機会が多くありました。オーストラリアやニュージーランド、シンガポールやカナダ、グアムなど貴重な経験をしました。特に印象に残ったのは岡山東商業高校に勤務している時に、JENESYS2.0というプログラムでラオス人民民主共和国に高校生19人と国費で派遣されたことです。ラオスは発展途上国で、首都のビエンチャンでも郊外は未舗装の道路でびっくりしたのを思い出します。日本では想像できないことがいっぱいあって生徒は戸惑うばかりでした。マーケットで売っていた昆虫を現地ガイドが生徒に試食させたときの生徒の表情は忘れられません。私はコオロギと虫の幼虫を食べさせられ、あの何とも言えない食感はすごかったです。

ラオスのマーケットにて

ラオスの風景

高校に訪問した時、日本語の上手な女の子が近づいてきて、「私は日本人に生まれたかった!ラオスは何もかもおくれている。」と話しかけられたので、「どこで日本語を覚えたの。」と聞くと。タイで放送されている日本のアニメで勉強した。」というのです。本当に流暢な日本語でした。ガイドさんが言うには、ラオスは貧しいからお金がないと小学校でさえ行けない子がいるどうです。ラオスの高校生朝7時から夕方5時までは無免許でバイクや車を運転してもいいらしく、理由を問うと学校へ通う公共交通機関が未発達だからそうです。生徒たちはそんな話を聞いて、表情が徐々に変化し自分たちがいかに恵まれているかを考えるようになってきました。

 日本のジャイカやNPOがラオスで様々な活動をしていました。ジャイカはODAでダムの建設や道路の整備を行っていました。ラオスで障碍を持って生まれると、家族は外に出さずに閉じ込めるそうです。それに対し日本のNPOがクッキーの工場を作って、障碍者に現金収入をもたらすようにシステムづくりをしていました。また、清潔でないために赤ちゃんの死亡率が高いらしく、若い日本人の看護師や衛生士がその改善を図るべく活動をしていました。

 新型コロナは若者を海外で研修することを拒んできましたが、徐々に海外に行けるようになると思います。日本の大学生はもっと海外に行き、いろいろなことを体験してほしいと思います。異文化を知ることは日本の文化を認識しなおすことができるし、大きく自分を成長させることが出来ると思います。

(経済学部 宮島宏幸)

ビエンチャン王国最後の王・アヌウォン王の像