蔵本選手は、チームメイトに囲まれる近藤選手を、階段踊り場から見つめていました。「もし、自分が指名されなかったら、悪い雰囲気になってしまう。」
痛めた右肘の再建術を受けたのが、2年生の11月。それから手術後にリハビリを行い、球威を取り戻してから、それほど時間もたっていないのに、ドラフト指名されるのか、育成枠でも指名されなかったら・・・。
そんな想いで一人きりでたたずむ蔵本選手。その様子に気がついた野球部員が、一人、また一人と、蔵本選手を気遣い、階段踊り場へあがってきました。私からは、彼らがどんな会話をしていたのか分かりませんが、いつの間にか、数人が輪のようになって蔵本君を囲んでいました。
近藤選手の胴上げが終わり、マスコミへのリクエストに応えられたことを確認し、記者会見会場へ戻ります。近藤選手が着席し、蔵本選手も少し暗い面持ちで、着席します。しばらくして、ドラフト会議の2位以下の指名が始まりました。
近藤選手を見に来たスカウトに「もう一人、面白いピッチャーがいる」と、監督等が紹介して、注目をされた蔵本選手。球団から求められた調査書の数も近藤選手よりはずっと少なく、関係者の間では、5位指名くらいで来てくれたらすばらしいが、との予想を立てていたようです。
ドラフト指名の下位を待つ間、カメラマンもカメラを置き、記者も近藤選手の記事をまとめるため、ノートパソコンの画面に目を落としています。野球部員を始め、大学関係者は引き続き中継映像を見守っています。3位指名が次々に読み上げられる中の11球団目。
「東京ヤクルト 蔵本治孝 投手 岡山商科大学」
「!?」
「ワァッッッ!!!!」
全く予想していなかった上位指名に、マスコミ関係者も「え?」といった表情で一斉に中継映像に振り向きます。全くの不意打ちに、慌ててカメラを構えるカメラマン。盛大な拍手が巻き起こります。
蔵本選手は文字通り目を丸くしています。大方の予想に反した上位指名に、会場の歓声は長く続き、「蔵本!」と野球部員が遠く呼びかける声が響きます。蔵本選手の表情がようやく和らぎ、求めに応じて監督や近藤選手、井尻学長と握手を交わします。
ざわめきがようやく収まったところで、記者会見が始まりました。
司会が「東京ヤクルトスワローズから3位指名を受けた蔵本治孝からご挨拶を申し上げます」とアナウンスし、蔵本選手が話し始めます。
「本日は、お集まりありがとうございます。まさか自分がこんなに早く呼ばれると思って無くて、正直びっくりしています。」
続いて山陽新聞社による代表質問。
「ヤクルトからの指名、おめでとうございます。近藤選手が先に指名されて、これまでどんな気持ちでしたか?」
「近藤が先に呼ばれて、自分が呼ばれなかったらすごく悪い雰囲気になるとおもったので、早めに呼ばれて安心しています。」
「ヤクルトのチームの印象を教えて下さい」
「最近ではチームとしては低迷していると思うんですけど、自分が戦力の一つとなって頑張っていきたいと思います」
「ピッチャーとしてのセールスポイントを教えて下さい」
「真っ直ぐどんどん押していくところです。どれだけ真っ直ぐが通用するか、プロの世界で挑戦したいと思います。」
1年目の目標など、今の気持ちを誰に伝えたいかなど、マスコミ各社からの質問が続きます。
「近藤選手とおなじプロ野球選手として活躍するわけですが、どうですか?」
「セリーグとパリーグでリーグは違うんですけど、投げ合うことがあれば楽しんで行きたいと思います」
「近藤選手は蔵本選手にとってどんな存在と言えますか?」
「近藤君は、チームメイトです。」
真っ直ぐな回答に、会場に和やかな笑いが起こります。隣から、近藤選手が質問の意図をささやきます。
「あ・・・、投げ合うことがあれば、敵チームとして全力で行きます。」
「近藤選手からみた蔵本選手はどんな存在ですか?」
「僕も真っ直ぐが得意ですが、その得意な真っ直ぐで蔵本君に負けないようにしたいと思います。」
・・・
質疑応答が一通り終わり、インタビューボードを背景にした写真撮影の後、記者会見場から屋外に出て、蔵本選手の胴上げが行われます。蔵本選手のキャラクターによるものか、野球部員から蔵本コールが沸き起こります。
最後に、野球部員が近藤選手、蔵本選手を肩車し、祝福が行われました。カメラに向かって、ガッツポーズを取る二人に、今後のプロ野球界での活躍が期待されます。