〈経済学部通信〉大きな声と滑舌

今回は宮島先生にご寄稿頂きました。

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  皆さんは次の詩を聞いたことがありますか。

 

あめんぼ あかいな アイウエオ

うきもに こえびも およいでる

かきのき くりのき カキクケコ

きつつき こつこつ かれけやき

ささげに すをかけ サシスセソ。

そのうお あさせで さしました

たちましょ らっぱで タチツテト

トテトテ タッタと とびたった

なめくじ のろのろ ナニヌネノ

なんどに ぬめって なにねばる

はとぽっぽ ほろほろ ハヒフヘホ。

ひなたの おへやにゃ ふえをふく。

まいまい ねじまき マミムメモ

うめのみ おちても みもしまい。

やきぐり ゆでぐり ヤイユエヨ

やまだに ひのつく よいのいえ

らいちょうは さむかろ ラリルレロ

れんげが さいたら るりのとり

わいわい わっしょい ワイウエヲ

うえきや いどがえ おまつりだ

 

 これは北原白秋の詩です。NHKや民放のアナウンサーや舞台役者、企業の新人研修などで定番になっている発声練習の詩ですね。友達と話すときや家族と話すときは普通に会話ができるが、人前で発表などをするときは声が小さくなってしまう人がなんと多いことか。

ゼミでは大きい声をお腹から出すよう求めているが、その意味をなかなか理解できない学生がいます。プレゼンテーションの構成やストーリーの磨き方を書いた本は多いが、声の出し方山の取り方などを書いた本は意外と少ないことに驚く。私の英語の講義では、少々の文法ミスよりも声の大きい学生のスピーチには加点するが、声の小さい学生は減点するようにしている。この北原白秋の詩を使って力強く言葉を出し、滑舌よく文章を読める練習をしして、相手に確実に伝え、美しい声で話す力を持たせたい。

 どんなに素晴らしい内容のプレゼンテーションでも、それを伝える声が良くないと、相手には評価されないでしょう。上の写真は高校生がお芝居を演じているところですが演劇部員は日頃の発声練習のおかげか、お芝居以外の発表の場でも大いにその力を発揮します。カナダやオーストラリアでは高等教育に演劇が表現力やコミュニケーション能力を身に着けさせるのを目的に一つの教科として存在しているが、日本にはまだ認められて異なことが日本人のプレゼン能力が低いと言われる原因の一つかもしれません。

 

複式呼吸

 相手に届く声を出すには複式呼吸ができないとだめです。正しい姿勢で9秒ぐらい細く長くお腹がへこむように吐き出します。息が全部出たら、お腹の力を抜きます。そうすると空気がおのずと入ってくるので、お腹がふくらむように数秒息を吸います。要するにお腹から声を出す練習をするといいです。相手にはっきりとした声を届ければプレゼンは楽に進みます。この複式呼吸をしながら声を出す練習をすると言葉が力強くなり相手は気持ちよく聞き取ることが出来ます。複式呼吸のやり方はインターネットにたくさん出ているのでそれを参考に練習をしてみてください。

 

早口言葉

 早口言葉でもっとも有名なのはういろううりです。

せっしゃおやかたともうすは、 おたちあいのうちに、

ごぞんじのかたも ござりましょうが、

おえどをたって にじゅうりかみがた、

そうしゅうおだわら いっしきまちを おすぎなされて、

あおものちょうを のぼりへ おいでなさるれば、

らんかんばし とらやとうえもん

ただいまは ていはついたして、えんさいとなのりまする。

がんちょうより、おおつごもりまで、おてにいれまする このくすりは・・・・

このういろううりを毎日練習しているとかなり滑舌がよくなります。最初はなかなかうまく読めないでしょうが、何回も練習するとスラスラと声がでるようになり、他の文章を読むのも案外簡単に読めるようになってきます。是非試してみてください。このういろううりもインターネットで見ることができますから。今日から始めましょう。また、次の早口言葉を三回連続して言えるようチャレンジしてみてください。

  第五交響曲観客驚愕(3回)

  中小商工業振興会議(3回)

  隣の客はよく柿食う客だ。(3回)

  青巻紙黄巻紙赤巻紙(3回)

  バスガス爆発(3回)

 今から練習しておいて、滑舌よく就職試験の面接やプレゼンテーションに臨んでください。あなたもアナウンサーや役者のように美しい声が出てきますよ。

(経済学部 宮島)

 

〈経済学部通信〉役に立たない(多分)経済学者案内~こぼれ話~

今回は山下先生にご寄稿頂きました。

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(自然)科学者の伝記を読んだり、エピソードを聞いたりしたことはあるでしょう。たとえば、アイザック・ニュートンやアルベルト・アインシュタイン、そして、日本人なら湯川秀樹。この人たちの学問上の業績はよく知らなくても、この人たちにあこがれて科学者を目指す人がいます。また、学生や研究者ならば、こういった先達のエピソードや人となりを知り、「なぜこんな考え方がでてきたのだろう」という疑問に答えを得ることがあります。実は、経済学でも同じことがあるのです。そこで、今回は経済学にとってのニュートンと呼んでもよいアダム・スミスの人となりやエピソードを紹介していきます。学説史的なことは専門外ですのであまり述べません。もし、アダム・スミスという人に興味をもち、親しみを感じたら、彼の著書(文庫本であります)や研究書を読んでみてください。

【アダム・スミス】1723-1790、スコットランド生まれ

アダム・スミスの名前を知らない人はいないでしょう。彼は「経済学の父」と呼ばれています。代表的な著作は、「見えざる手」という言葉が有名な「国富論」(1776)、正式な名前はもうすこし長く「諸国民の富の本質と原因についての考察」と言います。現在に至るすべての経済学者と経済学部生はアダム・スミスの弟子と言ってもよいでしょう。

さて、この偉大なるアダム・スミスは、内向的で、さらに子どものころから放心癖(ぼ~っとする癖)がありました。実は、スミスは3歳か4歳のときに誘拐に遭っています。おそらく、ぼーっとしていたところをさらわれたのでしょう。さらっていったのは放浪していたスリの一味でした。早速、スリは幼いスミスを使って「仕事」を始めたのですが全然役に立ちません。何せ、スミスは人見知りです。記録ではスミスはすぐに親元に連れ戻されたとありますが、実際は送り返されたのでしょう。(多分、元いたところに戻された。)しかし、このまま、スミスが帰らなかったら現在のような経済学は存在しなかったでしょう。放心癖のほうは生涯続いたそうで、あるときは書類に署名するとき前に書いた人の名前をそのまま書き写す、役人をしていたときは目の前で守衛の兵隊が捧げ銃(ささげつつ)をしたとき、自分も持っていたステッキで反射的に同じ姿勢をとる、議論に集中していてお茶を入れるはずのポットに茶葉の代わりにバター付きのパンを入れお湯を注ぎ飲んでから気づく(まずかったそうです。)、国富論の執筆中にはガウンを羽織ったまま25km近く散歩したということが記録されています。

さて、スミスは14歳でスコットランドのグラスゴー大学に入学し、道徳哲学を学びます。卒業後、17歳で当時の出世コースの王道として英国国教会の聖職者になるべくイングランドのオックスフォード大学に進学しますが、当時のオックスフォードの教師連のやる気のなさ(岡山商大とは大違いです。)にがっかりして23歳で中退します。オックスフォードの教師の様子はスミスにとってはショックだったようで、中退から30年後に著した「国富論」に「オックスフォードの教師は教えるふりすらしない」と記しています。その後、スコットランドに戻り、エディンバラ大学を経てグラスゴー大学に戻り道徳哲学教授に就任します。退職後はフランスに渡ったりもしますが、スコットランドに戻り、エディンバラで生涯を終えます。そして、死の直前には未発表の原稿は全部燃やすように命じました。(しかし、一部は残り現在出版されています。)

スミスの代表的な著作には前述した「国富論」より前に書かれた(正確には講義録)「道徳感情論」(1759)があります。タイトルからもわかるように人の感情に注目し、利己心、共感、道徳性の形成など内面を深く掘り下げています。ここに彼の内向的な性格がよい具合に生きています。これは17年後に著された「国富論」にも生かされています。「国富論」を読んでいくと気づくのですが、まるでスケッチでもしているように当時の社会を言葉で描写しています。このまま映像化できそうなほどです。ただ、表面的な描写にとどまらず、社会組織(市場や国家)や経済活動(分業など)、経済現象(独占価格の決定など)の背後にある人の心理(特に感情)についての洞察がその都度記されています。そして、それらの記述から「各人が各様に自分の利益を追求する経済的自由をもつ社会が良い」というスミスの信念(あるいは強力な主観)が見えてきます。ただし、スミスは富裕層や権力者といった特権階級のみが好き勝手に振る舞い利益を得ることを擁護しているのではありません。あらゆる層の国民の繁栄を犠牲にして強者のみが反映することについては、重商主義批判のなかで批判しています。「重商主義の諸規制においては、・・・製造業者(注)特定の生産者といったような意味)の利益はきわめて格別の注意を払われてきた。そして、消費者の利益というよりは、・・・製造業者の利益の犠牲にされてきたのである」(「国富論」第4編第8章「重商主義についての結論」より)とあります。また、スミスは当時の英国の植民地支配にも批判的でした。「国富論」に出版年を思い出してください。1776年。奇しくも英国に対して、当時植民地であったアメリカが独立宣言を発した年でありました。

 

さて、普段私は経済理論を講義し、また、研究しています。現在の理論は、多くの場合、新古典派経済学のガチガチの仮定のもとで高度に抽象化されています。確かに議論を進めるためには仮定や抽象化は必要です。ジョーン・ロビンソン(1903-1983、英国の女性経済学者)が言ったように「縮尺1分の1の地図は役立たない」のです。(地図は高度に抽象化されていますね。)

 とは言え、そんな中にずっといると経済学が「日常生活を営んでいる人間についての研究」(アルフレッド・マーシャル(1842-1924、英国の経済学者))であることを忘れ、ただの計算屋になったような錯覚に陥ります。そのような状態から抜け出すために、(専門分野ではない)経済学説史や経済学者の伝記(に近いもの)に目を向けるようにしています。そうすることで「経済学の豊かさ」を確認できるのです。

(経済学部 山下賢二)

会計(専門)コースで一緒に勉強してみませんか?

 本学の経営学部経営学科には,経営コース,情報・メディアコースおよび会計コースの3つがあり,学生の皆様の興味関心に応じて学修できるコース設計をしています。今回は,その中でも会計コースの説明をしたいと思います。

 じつは,会計コースには,『会計コース』と『会計専門コース』という2つのコースが存在します。なんだか細かいな・・・と思われる人もいるかも知れませんが,まずは,その2つの違いについて簡単に説明します。

 

☆ 会計コース

 経営コースや情報・メディアコースの勉強もしつつ,会計を含めた幅広いビジネスの知識をバランス良く備え付けたいと考えている人向けのコース

☆ 会計専門コース

 会計の学修を中心に行い,会計に詳しい人になりたい人や税理士や国税専門官を目指したいと考えている人向けのコース

 会計コースと会計専門コースの違いを大まかに言えば,「3つのコースの勉強を幅広くしたい人向け」のコース(会計コース)か「会計の勉強を詳しく勉強したい人向け」のコース(会計専門コース)かということになります。

 

 以下では,会計専門コースの内容についてちょっと詳しく見てみたいと思います。まず,会計専門コースに所属したい人は,1年次に『会計学基礎Ⅰ』という科目を履修してもらいます。その科目で,会計に関する職業とその業務内容や4年間の会計に関する学習スケジュールを学ぶと共に,各自の将来の目標と会計分野の学修との関係をイメージできるように指導しています。

 

 ここで不安に思う人がいるかも知れません。

大学に入って初めて会計の勉強をするんだけど・・・・

その点は,全く問題ありません!

 

 毎年,多く学生が大学から会計を勉強していますし,それぞれの学修レベルに応じたカリキュラムが本学にはあります。

 また,皆様の中には,実務ではどのようなことが行われているんだろう?という疑問を持っている人もいるかもしれません。その点について,会計専門コースでは,キャリアセンターと共同で税理士インターンシップを開催しており,1年次から税理士業務を体験することができます。本年度も多くの学生が税理士インターンシップに参加しています。

 加えて本学では,中国地方の税理士の組織である中国税理士会による寄付講座である『税理士による租税講座』を開講しています。そこでは,さまざまな租税の内容を中心に,税理士や国税専門官の業務について学ぶことができます。

 このように経営学科の会計専門コースでは,理論的な勉強だけではなく,実務に触れる機会も多く存在する仕組みを作っています。一緒に目標を持って勉強をしてみませんか?(経営学科・内田)

法学部・ほぼ一ヶ月ぶりの対面授業

岡山では緊急事態宣言が解除され、本学でもほぼ一月ぶりに対面授業再開となりました(リモートが続いている授業もあります)。

梅雨時期ではありますが、晴れた日には爽やかな風が教室を通って、過ごしやすく感じます。

今日は模擬法廷にてゼミです。みんな久しぶりですね。

(書記官の席から傍聴席をみています)

 

今、模擬裁判用の脚本を作っています。今日は模擬法廷で実際に演じてみながら、検討します。

すっきりしないところは図を描いたり、実際の事件の動きをシュミレーションしてみたりして確認しつつ、

(「きゃ~刺される~(棒)」)

 

(被害者の移動距離を検討しています。遊んでいるわけではありません。)

 

論理的に破綻のないように作っていかないといけません。まだまだ前途多難ですが、今日は対面ならではのゼミになりました。

 

〈経済学部通信〉デジタル通貨発行で現金は消えるのか

 CDの全盛期に、レコードはCDの普及により市場から消えるという意見があった。今日、インターネットを媒体としたストーリミングがCDを市場から淘汰させている中で、レコードの需要は増加している。このように音楽の記録媒体は、レコード、テープ、CDそしてインターネットの流れの中で、中間的媒体物は排除され、両端だけが利用される傾向にあります。

 「デジタル通貨の発行で現金は消えるのか」というレコードと類似した問題が生じます。私は、このキャッシュレス化を象徴する出来事を中国で目にしました。

 1つ目は上海国際空港での光景です。浦東国際空港から虹橋国際空港に移動するバスの中で、バス代が5元不足している女性が、見ず知らずの女性の乗客と何やら話をし、相手のスマホのQRコードを読み取りWechatペイを用いて5元の振込を提示し、相手から5元を入手することができました。

 2つ目は、世話をしてくれた本学に短期留学していた学生が予約してくれたタクシーでホテルまで乗り、領収書だけを受け取ってタクシーを降りました。同行した職員によると、タクシー代金の支払いは予約した学生によって既に支払われているので、後日、Wechatでタクシー代金を支払いますとのことです。

 3つ目は、中国の大学の先生と中華調理店に入ると、料理の品物は既にスマホで予約され、支払いもスマホで行われ、私たちは行って食べて帰るだけでした。

 さて、通貨は、中央銀行が発行する現金と銀行が発行する預金通貨(デジタル通貨)で構成されています。現在、利用されている○○ペイは、預金通貨をベースとして発行される非銀行部門の預金通貨と看做すことができます。インターネット社会の下では、より便利で効率的な決済手段として非銀行部門が創造する預金通貨の部分が大きくなってきています。

 通貨は決済手段であり、価値貯蔵手段として利用されますが、価値の安定が不可欠です。価値の安定を維持・達成するのは中央銀行の役割です。この意味で、中央銀行の発行する通貨は、経済にとって不可欠な存在であるといえます。

 以上のことから、通貨もレコードと同じく、新しい決済手段が利用されたとしても、中央銀行が発行する通貨は依然として存続するということが予想されます。

(経済学部 田中勝次)

法学部・岡山県警の方に、犯罪被害者支援についてご講演いただきました

 法学部では、公務員志望の学生さんがやはり多いですが、志望の定まっていない学生さんも多くいます。いずれにせよすべての学生さんに、社会の実態に触れ、いろいろなことを感じながら学修してもらいたいと考えています。そこで、実務に携わり、現場に立って活躍しておられる方をゲストスピーカーとしてお招きして、講演していただく講義が数多くあります。緊急事態宣言のさなかにあっても、多くの方にご協力いただいており、そうしたゲストスピーカーの方には本当に心から感謝申し上げたいと思います。

 今年も昨年に引き続き、岡山県警の戸田警部補においでいただき、警察による犯罪被害者支援についてご講演いただきました。

屋内, 天井, テーブル, 木製 が含まれている画像

自動的に生成された説明

 今年はオンラインですので、ほぼ誰もいないだだっ広い講義室で、画面の向こうの学生さんに話かけていただいています。なかなか慣れない状況だったかと思いますが、本当にありがとうございます・・・。

 

 今年1年生で犯罪被害者支援サークルつぼみに参加してくれた学生さんたちが、ブログに掲載してもOKです、と聴講した感想を寄せてくれました。抜粋して以下に掲載させて頂きます。山﨑さん、友松さん、高橋さん、中村さん、組島さん、金田君、どうもありがとう!

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犯罪被害者支援室は、カウンセリングを勧めたり、病院・学校・職場と連携を取り被害者の心をサポートしていて、それは非常に良いことだと考える。被害者自身が裁判で気持ちを発信することができる被害者参加制度は、被害者が周囲の人や加害者に心情を伝える場としては良いと思われるが、裁判を判断する時に被害者の心情により正確な判断ができなくなる可能性もあるのではと疑問に思った。

被害者支援について、一番の問題は、被害者支援が一般にあまり広まっていないことだと推測する。なぜなら正しい知識を知らないことによって、良かれと思った一言をかけてしまったり気休めや安易な励ましをしたりして被害者をサポートしようとした言動がむしろ被害者を苦しめてしまうものになりうるからである。

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「同じ家族でも本心で悲しみを共有できない」という部分が印象に残った。私は、今まで被害者は家族間で悲しみを共有し励ましあうのが普通なのかと思っており、家族間でもそれぞれの立場や思いが違い、悲しみを共有できない場合もあるという話を聞いてとても驚いた。それと同時に、第三者であるから話せる話もあると思うので、第三者に話を聞いてもらう機会も被害者にとって大切な権利であると思った。

被害者支援の問題点は、国や市町村が被害者支援に関する広報活動に努めても、被害者が社会で孤立してしまう可能性をゼロにできない点である。広報活動は社会全体にできても、全員の意識を変えることは現実的に困難であるため、一部の偏見を持った人からの誤解や中傷をゼロにはできない。その上で、偏見を持った人が一人でも減るよう長期的に広報活動を続けていかなくてはならない。

被害者支援について、犯罪被害者支援の条例化を進めているというお話があったが、どこにいても被害者になる可能性がある。条例の制定は各地方自治体が行うため、場所によって支援に格差がある。すべての地方自治体が被害者支援に関する条例化を進めれば、被害者支援に大いに繋がるのではないか。

また、被害者支援について「他人事ではない」という意識を持つことは大事だと思った。

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加害者に過度な社会的制裁を加えることは、加害者が逆恨みをする可能性があり、二次的被害に繋がる為すべきでないと考えた。また犯罪被害者が精神的ダメージから失業する場合も考慮し、休業制度を設けるべきだと思った。更に、実名報道やマスコミの取材等に対しては賛否両論あり、今後の課題だと感じた。

被害者連絡制度等を通して、被害者が孤立してしまうことのないように支援し、また、被害者が裁判や捜査で何度も語らなくても良くなるように制度を改善すべきだと思う。

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今の被害者支援制度は都道府県それぞれによって制度が変わってきます。いつどこで誰が犯罪の被害に遭うかはわからないことであり、突然です。中には被害に遭って何も支援されず苦しんでいる人がいるかもしれません。一人で苦しみ悩んでいる方々を少しでも多く減らせるように、都道府県ごとの支援制度だけではなく、日本全体、さらには世界全体で協力して、この活動をもっと広げていくべきだと思いました。

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諸外国と比べ、日本の補償金は少なく、「被害を受けた時から平穏な生活ができるまで、必要な支援を途切れることなく受けることができるようにする」という犯罪被害者基本法の規定に沿えていないのではないかと考える。犯罪被害に遭い、実際に被害にあった被害者だけでなくその家族にも二次被害として様々な困難が降りかかる。それは一生ついて回るものである。事件前の収入に基づいて支援額を決めるのではなく、事件後の困難な生活に対して、どれだけ元の平穏な生活に近づけさせるかが大事だと考える。それゆえさらに、「犯罪被害者に対しての補償」を拡大するべきだと考える。

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私は車の免許を取得しているので、車の事故は他人ごとではないと感じました。もし加害者になった場合、被害者やその遺族にどう向き合うべきなのかを、お話をきいているときにずっと考えていましたが、答えが思い浮かびませんでした。自分から被害者になにか行動を起こしたとしてもそれが正しいのかと考えてしまいます。・・・被害者になった場合は、その犯人を一生ゆるすことはできないでしょう。事件の話を聞いて、加害者、被害者両方の立場になって考えたとき、日常は一瞬にしてなくなり非日常になるんだなと、これから車乗る時にはもっと注意深く運転しようと思いました。

 

法学部・オンライン授業の風景

 5月下旬の「刑事政策」(担当:白井)では、自由刑の在り方について検討しました。緊急事態宣言が発令されていたため、当日はオンラインで(zoomを使って)開講しました。

 伝統的に、犯罪者の自由を拘束することを刑罰の内容とする「自由刑」では、受刑者を刑事施設へ収容することとともに、彼/彼女らに労働を課すことが重要視されてきました。現代のわが国でも、懲役刑では「所定の作業」が刑罰の内容に含まれており、禁錮刑でも受刑者の殆どが「請願作業」などという形で刑務作業に就いているといわれています。

 当日の講義では、まず、刑務作業の意義について受講者全員で検討しました。受講者には、刑務作業の意義について各自が思うところを事前に挙げてもらっていましたので、担当者がGoogle Jamboardを使って整理しました(googleのアカウントがあれば無料で利用できます。講義のなかで作成したものより若干清書しています)。受講者からは、「社会復帰を円滑にする」「受刑者の心身の健康を保つ」「規則正しい生活を身につける」「共同生活における自己の役割や責任を自覚させる」「自分がしたことを見つめなおす」などといった回答のほか、「犯罪者であってもある程度社会に貢献できる」とか「税金で、ご飯を貰っているのだから働くのは当然である」といった指摘もありました。

 また、当日の講義では、刑務作業の対価として受刑者に賃金(報酬)を支払うことの是非も検討しました。賃金労働制については、「犯罪をして刑務所に入っているのに給料をもらうのはけしからん」という考えが根強い一方で、本人の社会復帰や被害者への賠償に資することを主な論拠として導入が提唱されています。その他、受講者のなかには「刑務作業へのモチベーション」という観点から賃金労働制に賛成する意見もありました。

 法やそれに基づく制度を運用する際には、さまざまな観点から検討を加えることが必要となります。例えば、刑務作業については、施設の運営(心身の健康・施設内の秩序の維持)、国家の財政(コストの削減)、受刑者の矯正教育(改善更生・社会復帰、勤労意欲、罪への意識)という3つの視点に立ってあり方を検討していく必要があります。これからも、学生が幅広い視点に立って物事を考える能力を身につけられるよう、試行錯誤を重ねてまいりたいと思います。

 

(法学部・白井 諭)

労働局および家庭裁判所の仕事を学ぶ (講義風景)

本学開講科目「法を考える」では、学生たちが「具体的な法律問題を通じて、実社会と法律との関係を理解する」ことを狙いとしています。そのため、本学教員スタッフのほか、弁護士の先生をはじめとした実務家の方々にご登壇をお願いしております。

2021年度は、岡山労働局(5月11日(火))および岡山家庭裁判所(5月18日(火))より講師の先生をお招きして、貴重なお話をいただきました。

11日には、岡山労働局より、「働き始める前に知っておきたい労働法規」と題した講義をいただきました。この時は、まだ緊急事態宣言前ということもあり対面講義でした。コロナ禍の状況とはいえ、様々な事情でアルバイトを続けている学生もあります。学生からは実体験を踏まえた具体的な質問が、複数出てきていました。

 翌週18日には、岡山家庭裁判所から調査官の方を講師派遣いただき、家庭裁判所での取扱い事件のうち特に“少年事件”について、調査官の仕事内容にも触れて講義いただきました。この回より緊急事態宣言下の対応に。本件講義も急にオンライン(Zoom)に変更となり、科目担当者としては本当にヒヤヒヤする場面もありましたが……何とか講義内容を配信することができました。

こちらは、写真の代わりに受講生の感想を掲載いたします。多少なりとも、雰囲気が伝わりましたら幸いです。

「裁判と言われると、厳かで、人間感情がシャットアウトされているようなイメージを持っていましたが、少年事件では非行少年の未来を想って、寄り添われながら審判が下されるのだと知りました。法や、法に携わるお仕事をされている方への見方が変わったような気がします。」

「家庭裁判所での仕事について最初はあまり詳しく知らなかったですが、講義を聞いて、家庭裁判所では事件の態様に応じた様々な手順・方法で、細やかに対応が行われていくのだとわかりました。また、少年事件を取り扱う際は心理学を学ぶことも必要なのだと分かりました。イメージがわき、聞くことが出来て良かったと思いました。」

*なお、受講生及び本学学生への連絡事項として。家庭裁判所調査官のお仕事について、関係資料をキャリア・センターに置かせていただいています。進路の一つとしてお考えの方は、是非のぞいてみてください。

(法学部:宍戸)

 

〈経済学部通信〉大学院進学に向けた講義

ゴールデンウィークも終わり、大学での講義も再び本格化しつつあります。

 

私が受け持つ特別演習という講義では、大学院進学を目指す学生を対象として院試対策を行なっております。

 

日本において、経済学は文系として位置づけられる分野ですが、現実で生じる経済現象について理解を深める際には、数学を用いることが多々あります。

 

大学院入試でも筆記試験では、数学を必要とする問が多く出題されます。

 

特別演習の講義資料では、細かく数式展開を書き入れるなど、学生が数学に対して苦手意識を持たないように工夫することを心がけております。

 

 

新型コロナウイルスの影響で新しい生活様式が求められる中、大学の講義についても新たな様式へと変換が求められております。

 

まだまだ試行錯誤を繰り返しながらではありますが、受講生が希望とする進学先へと合格できるようサポート出来ればと考えております。

(経済学部 星野)

法学部・4年ゼミの様子

 例年、今の時期の4年生は公務員試験の勉強や就活、教職の学生は実習の準備で慌ただしい様子です。今日は、内定を得て就活を終えて、少し余裕の出来た学生達に発表をしてもらいました。

テキスト, 手紙

自動的に生成された説明

(参考資料:井田良「感染症対策と刑事法(総論) ─問題状況の素描─」刑事法ジャーナルvol.66

天田悠「ドイツにおける感染症対策と刑事法の対応-感染症予防法の改正とトリアージの刑法的評価を中心として-」刑事法ジャーナルvol.66

川口浩一・吉中信人「イタリアにおける集中治療トリアージについて-『資源が限られた例外的な状況下での集中治療の配分に関する臨床倫理上の勧告』をめぐる議論」法律時報92巻7号)

 正直だいぶ、だいぶ難しすぎるテーマでしたが、昨今の岡山の状況に鑑みますと他人事ともいえなくなってくるテーマかとも思います。

 人の命を救うために医療従事者になった人たちが、感染の危険にさらされながら必死に治療を行うも、トリアージを行わざるを得ない状況におかれ、そのトリアージの方法がまずいとなったときに刑事的責任を問われうるというのでは、おそらく誰も医療従事者になろうと思わないでしょう・・・。トリアージについて明確な基準・理論的な裏付けが必要だ、ということはすぐわかるのですが、「命の選別」につながる繊細な諸問題をみんなでいろいろ考えていると、大変悩ましく、「もし私がお医者さんだったら、決められなくてどの患者も治療する前に死なせてしまいそうです・・・」と言った学生さんもいました(´・ω・`)。