〈経済学部通信〉「戦争は女の顔をしていない」を読んで

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今回は両角先生にご寄稿いただきました。


今回は,私が最近読んで衝撃を受けた本を一つご紹介して,お茶を濁しておくとします。

 その本はこれです。

  スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』
  (三浦みどり訳,岩波現代文庫,2016年)

  (以下の文中でのページ数はこの文庫本のもの。)

 

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第2次世界大戦の帰趨を決したのが,ナチス・ドイツとソビエト連邦間の戦争(独ソ戦)であったこと。つまり,ナチス・ドイツは本質的にソ連・赤軍(アメリカ,イギリスから支援を受けながらではあったが)に敗れたのだということ。この勝利の代償としてソ連は,他国とはケタ違いの戦死者(2000万以上と言われる)を出したこと。こうしたことは今ではよく知られるようになっただろうか。ソ連・赤軍の勝利にともなう事象は,映画などでもさまざまに描かれており,本書でも触れられている。

「勝利だ! 勝利だ! <降伏>はともかく<勝利>は私たちにも理解できた。『戦争が終わった。戦争が終わったんだ!』手元の銃を発射する者,涙を拭う者,踊りまわる者。『生き延びたんだ! 生きてるんだ!』」(p.181)。

このような歓喜の爆発があり,ジューコフの凱旋パレードもあり,祝祭気分に満ちたひと時があったことは,十分理解できる。(他方,ソ連・赤軍の占領地域での略奪・暴行など,勝利の暗黒面も次第に明らかにされている。)

しかし,当然と言えば当然ながら,私たちの知るところはあまりに少ない。知らなかったことが無限にあると言える。たとえば,ソ連・赤軍の勝利にともなって,次のような出来事もあったとは,本書を読むまで私は知らなかった。

ドイツ軍の捕虜となっていた女性兵士が解放された。「そのうちの一人が妊娠していた。一番きれいな子。捕虜になって雇われていたそこの主人に犯された。主人と寝ることを強要された。その子は泣いて自分のお腹をたたいていた。『ドイツ人の子供なんか,連れて帰れない』と。女の子たちは説得した・・・でも,その子は首を吊ってしまった」(p.446)。

本書に収められているのは,このような元女性兵士一人一人の肉声である。ありふれた日常生活から途方もない大波に巻き込まれた人たち,「大きな物語に投げ込まれてしまった,小さき人々の物語」(p.63. 著者の言葉)である。

ソ連・赤軍に従軍した女性兵士は総数約100万人と推定されている。その多くはコムソモールからの志願者であった模様である。衛生・看護兵として従軍した人が多いようだが(これは他国でも例がある),そればかりではない。通信・兵站など,比較的後方の勤務から,狙撃兵,戦車兵,砲兵,工兵,パイロット,パルチザンに至るまで,最前線で戦った女性兵士も数多い。

戦後,それらの女性兵士たちは,例外なく固く口を閉ざして,戦地での経験を語ろうとしなかったという。それはなぜだろうか。

第一に,自分たちの経験があまりに凄惨で,言葉にできなかったということが考えられるだろう。彼女たちは,たとえば,「味方の兵士たちがライフルだけでドイツ軍の戦車に飛びかかっていった」のを目撃したのだ。「銃床で装甲板をたたいているのを見たことよ。たたいて,わめいて,泣いてたわ,倒れるまで」(p.69)。忘れたくても生涯忘れられない場面だと語られている。ある赤軍伍長が語るところでは,「補充兵がやって来る・・・来たと思ったら,もういないんだから。二,三日のことさ。1942年のことだった。一番つらい,困難な時だった。300人いたうち,その日の終わりには10人しか生き残っていないこともあった」(p.473)。

そのような戦場で彼女たちは,数十キロの重さの砲弾を担いで運び,敵軍と撃ち合い,弾雨の中で負傷兵を引きずって救け,休む間もなく手当てや看護に当たった。「戦地では半分人間,半分獣という感じ。そう・・・ほかに生き延びる道はなかったわ。もし,人間の部分しかなかったら,生き延びられなかった。首をひねられちゃう」(p.98)。肉体と精神の極限的酷使が身体の変調をもたらすのは当然のことでもあろう。「身体そのものが戦争に順応してしまって,戦中,女のあれが全く止まってしまいました。戦後子供を産めなくなった女の人がたくさんいました」(p.297)。

第二に,そこまでの自己犠牲を払って,どうにか生き延びて復員した後,命がけで守った祖国で待ち受けていた境遇を考えねばならない。ソ連政府が,前線の悲惨さを極力隠そうとしていたという事情はあった。しかし,それ以上に深刻だったかもしれない仕打ちを受けたようだ。これも私は知らなかった。

狙撃兵だったある女性が言う。「男たちは黙っていたけど,女たちは? 女たちはこう言ったんです。『あんたたちが戦地で何をしていたか知ってるわ。若さで誘惑して,あたしたちの亭主と懇ろになってたんだろ。戦地のあばずれ,戦争の雌犬め・・・』ありとあらゆる侮辱を受けました」(p.367)。にわかに信じられないような話なのだが,そういう心ない言葉もあったのだろう。元兵士だった男性の証言もある。「私の妻は馬鹿な女じゃないが,戦争に行っていた女たちのことを悪く言っている。『花婿探しに行っていたんでしょう』『恋に血道をあげていたんでしょう』と。実際は女の子たちはまじめだった。ほとんどが純潔だった」(p.136)。軍の看護長だったある女性は,三回も負傷した末に復員したのだが,身内はおらず,生活に困窮し掃除婦の仕事で何とか暮らしていた。しかし,自分が傷痍軍人(補償を受けられる)だということを誰にも明かさず,その証明書も破り捨てたという。「『どうして破ってしまったの?』と訊くと『そんなもの持ってたら誰が私なんかと結婚してくれる?』と泣くんです」(p.164)。

そのような状況下で口を閉ざして生きてきた元女性兵士たちが,戦後40年ほど経過したころから,自分の経験を語り始めた。相当の年配となって,ようやく語れる気分となったものだろうか。また,「黙ったままで人生を終わってたまるか」という気分もあったらしい。ある元女性兵士はこう訴える。「あたしたちが死んだあとは何が残るんでしょう? あたしたちが生きているうちに訊いておいて。あたしたちがいなくなってから作り事をいわないで。今のうちに訊いてちょうだい」(p.40)。そうして集められた大量の聞き書きが原著に収録されたのだが,原著の初版は1984年刊行,ペレストロイカの直前に強い検閲を受けながらの刊行だった。(削除された個所はその後の版で復元された。)

ところで,白状すると私は「ジェンダー」に関する議論にはまったく疎い。ほとんど無知だと言ってもよい。そんな私から見ると,元女性兵士たちが,地獄の戦場にあって「女らしさ」への渇望を抱いていたという証言は,興味深く感じられる。また,そこには一種のユーモアさえ感じられるのだが,それも歳月の経過のためであろうか。そういった証言をいくつか引用しておく。

二等兵:「戦争で一番恐ろしかったのは,男物のパンツをはいていることだよ。これはいやだった。これがあたしには・・・うまく言えないけど・・・・第一とてもみっともない・・・。祖国のために死んでもいい覚悟で戦地にいて,はいているのは男物のパンツなんだよ」(p.124)。

海軍一等兵:「ちょっとでも休憩がもらえると,何か刺繍をしたり,ゲートルを肩掛けに作り変えたり,何かしら女らしい手仕事がしたかった。女らしいことに飢えていました」(p.160)。

軍曹(通信班長):「私たちは土の中で暮らしていました,モグラみたいに。それでも何かしらどうでもいい小物をかざっていました。たとえば春には小枝をビンに差したりして。明日自分はもうこの世にいないのかもしれないと,ふと思って・・・」(p.285)。

このような「女らしさ」への渇望は,上に引いた「半分人間,半分獣」という前線兵士の「人間」の部分を支えていたのではなかったか。そのように受け取るのは誤りだろうか。

ともあれ,ソ連・赤軍の女性兵士たちは,女性であったがゆえに,男性と比して二重,三重に苛烈な人生を過ごし,ある人は戦死し,ある人は生き延びた。どのページを開いても胸が痛くなるような証言が記録されている本で,読んでいてつらくもなるのだが,現代史に興味のある方にはご一読をお勧めする。

(経済学部 両角)

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