〈経済学部通信〉あの思いこの思い

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今回は韓先生にご寄稿いただきました。


 早朝五時ごろ目が覚めるや否や、蝉の大合唱がすでに始まった。出窓の網戸に一匹が飛びつき、耳いっぱいに訴えてきた。けなげな君だなと眼をやりながら、すっと身も心も軽やかに感じてきた。

 大暑入りしてから、いつの間にか蝉が一斉に出そろった。夏の宴を盛り上げんがための勢いだ。人の世に束の間のゲスト出演だとはいえ、さっと訪れ、わっとクライマックスへと、そしてほどなくひっそりと去っていく。その潔さが何とも言いがたい。

 「ねえ、聞こえてる?うちのほうも、蝉が鳴き始めたよ。いっぱい集ってるんよ、庭先のあのナツメの木に。」と、ほぼ同じタイミングに母から音声メッセージが入って来た。

 あのナツメの木かぁ。

 父が植えてくれた木だ。

父は他界して今年で20年。この20年の間、一番下の弟も結婚し二人の息子を育て、その長男は今9月から高校生になる。一方、母は孫たちの世話を終え、田舎の実家に戻って一人暮らしを選んだ。野菜の栽培や、鶏、犬、そして猫たちのことで毎日忙しく動いている。何より、勉強や習い事の合間に戻って来た孫たちを、心いっぱいの手料理を作って迎えるのが至福のようだ。寂しくなんかしてないよ、だって、この家、お父さんとの思い出がいっぱい詰まっているもん、と朗らかな母。

 この20年間を、母は父のことをどう思って過ごしてきたのかずっと気になっていたわたしだったが、母のその言葉に救われている。

 

 さて、あなたは?何かを残したのだろうか。

 蝉時雨の中、つながっている空を眺めつつ胸の奥から聞こえた、

「我、此処に有り」と。

 

庭先に父が植えてくれたナツメの木

 

夕日が映える母の散歩道

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