日韓学生未来フォーラム -韓国編-

(財)李煕健韓日交流財団が主催する、「第7回日韓学生未来フォーラム」に本学の学生3名が参加します。日韓相互理解を目的として、両国の学生15名ずつ計30名と関係者10名が集まり、ワークショップや交流会が行われます。今年のテーマは「ウィズコロナ時代における日韓未来協力に向けた大学生の疎通と交流」で、政治・経済・文化の3つの論題に分かれて討論をします。

9月と11月の2回ある研修のうち、今回は9月2日~5日に開催されたソウル研修の体験記を報告します。

 

■山本竜也(経済学部4年)

 私は政治分野を担当し、日韓関係の改善策を模索しました。討論会での質問やその回答、意見の質がとても高く、充実した時間を過ごすことが出来ました。韓国の学生は「個性」を大切にし、前向きな考え方をするのが印象的でした。また、晩餐会や観光の時も社交的で、韓国のお酒の飲み方を教えてくれたり、一緒にお土産を選んでくれたり、すぐに仲良くなれて良かったです。

フォーラムに参加したことで、世界に目を向けるきっかけが得られたことに感謝しています。また、人生や夢に対する考え方など、異なる価値観に触れたことで、自分自身の視野も広がりました。終始、笑顔の絶えないフォーラムだったと思います。今年の11月に行われる神戸研修も頑張りたいです。

東国大学(韓国ソウル)にて

裁判所見学に伺いました

本日から大学は後期授業の開始です。

授業開始に先駆けて昨日、ゼミ生をつれて裁判所見学に行ってきました。単独法廷の中に入らせて頂き、裁判のいろいろや、事務官・書記官の仕事についてお話を伺いました。さらに家庭裁判所も見学させていただき、家裁調査官の仕事についても詳しくお聞きすることができました。

毎年しっかり、楽しく勉強させていただき、裁判所のみなさまには本当に感謝申し上げます。

 

 

学生の皆さんには、専門職の仕事に触れて刺激になったでしょうか。新学期も頑張っていきましょうね。

第1回 総合型選抜エントリー受付中

9月5日(月)から総合型選抜 事前選考エントリー受付を開始しています。

エントリー期間:2022年9月5日(月)~9月15日(木)

事前選考:10月1日(土)
事前選考通過発表:10月7日(金)

事前選考エントリー前に、総合型選抜説明会を受講することが、エントリーの要件となります。
総合型選抜説明会の受講方法は、下記の方法となります。

①2022年度オープンキャンパス【来学型・Web型】で説明会を受講する。
②総合型選抜説明会動画を視聴する。

 日  程:随時
 受講方法:下記の予約フォームにて申込後、メールで送信されるURLより動画を視聴してください。

予約フォームはこちら。
※予約フォームの日付が12月22日となっておりますが、随時、視聴用URLを送信しておりますので、ご安心ください。

なお、本学の定める期間中に総合型選抜説明会を受講できない場合は、エントリー締切日の3日前までに入試課へご連絡ください。

総合型選抜エントリーに関する詳細は、総合型選抜エントリーガイド2023をご確認ください。

 

岡山商科大学 入試課
窓口取扱時間:【月~金】8:30~16:30(13:00~14:00を除く)
※土日祝日は閉学します。
電話:086-256-6652
メール:nyusi@po.osu.ac.jp
LINE:https://page.line.me/ace1761c

入試課の場所は、1号館の1階です(正門から入って目の前の建物、左手側)。

 

〈経済学部通信〉最適技術とは何か?

今回は佐藤先生にご寄稿いただきました。


  中村 哲(なかむら てつ)氏は、医師 として、パキスタン や アフガニスタンでの医療活動により、多数の人々を救済してきた。また、2019年12月に武装勢力に銃撃され、この世を去ったことは、既に多くの人々の知るところである。

 中村氏の活動の根源は、「社会的弱者の救済」にあった。もちろん、ご専門が医師であるから、病気で苦しむ人々を救済することが主要な活動であった。しかしながら、医師としての活動だけでなく、食料不足で困窮する人々のため、大地を潤し、豊かな実りにより、飢餓から人々を解放するためにも多大の貢献を為されたことをご存じでしょうか?

 今回のブログでは、「医師としての中村 哲」ではなく、農業・農村振興に尽力された氏の姿に焦点を当ててみたい。中村氏は、医師でありながら、農業用水路を築造し、アフガニスタンの乾いた大地を水で潤し、貧しい人々に食料確保のチャンスを提供したのである。

 中村氏が赴任した当初は、アフガニスタンでは、食料不足や病気で多数の人々が死亡していた。氏は、「この国の問題の根源はどこにあるのだろう」と考え続け、「根本原因が【水不足】にある」と気付いたそうです。国土の大半が乾燥地域にあるアフガニスタンでは、水不足のため、必要量の食料生産が困難であり、この食料不足が人々の健康に大きな影響を与えていたのである。

 そこで、氏は、「新たに用水路を作り、アフガニスタンの大地に水を供給し、食料生産増加」の取り組みを開始したのです。本ブログでは、【緑の大地計画】と呼ばれている、中村氏がリーダーとなって実施した、「水利施設」築造に関わる苦難の活動の中から、筆者が、極めて大切であると考える「知見」についてご紹介するものである。

 1991年、中村氏は医師として派遣されていたパキスタンから、隣国アフガニスタンの険しい山岳地帯に初の診療所を作り、多くの人の命を救っていた。そして医療活動だけではなく、1600本もの井戸を掘り、戦災と干ばつに襲われたアフガニスタンを、なんとか救おうとしていた。しかし地下水の枯渇を恐れたアフガニスタン政府は、井戸掘りの禁止を命じた。

 中村氏は、方針転換を余儀なくされ、河川の水を農地で利用するための【緑の大地計画】を発表し、用水路の建設に着手したのである。アフガニスタン東部を流れるクナール川に堰を築き、それによって水を用水路に引き込み、乾いた大地へ送水する計画である。

 しかしながら、この工事は、大変な難事業であった。河の流れが速く、大量の土砂も含んでいたため、築いた堰は、濁流によって容易に破壊されたそうである。とくに、十分な資金もないため、鉄筋コンクリートなどを利用した近代土木技術を利用できる状況にはなく、人力で大きな石を河川に投入し、それによって「堰」を築造し、河川水を用水路に導水しようとしたのである。しかしながら、河川に投入した石は、たとえ巨岩であっても、河川の巨大な水圧には対抗できず、容易に崩壊したそうである。

 悩み抜いた中村氏は、何度となく故郷(福岡市)を訪れ、古老の話などを見聞し、福岡県朝倉市を流れる1級河川・筑後川の中流にある『山田堰』と呼ばれている「取水堰」を見学したそうである。この「堰」(通称、斜め堰と呼ばれている)は、江戸時代に築造されたものであり、したがって、鉄筋コンクリートも使用せず、単に、石を積み上げただけの堰である。中村氏は、この「斜め堰」は、近代的建設材料が全く利用できないアフガニスタンでは、「最適な土木技術である」と思い至るのである。

 この堰の特徴は、「堰が河川の流れる方向に対して斜めになっている」ことであり、このことが重要な意味を持っている。つまり、「石を河川の流れに対して、最も水圧を受けにくい斜めの角度」で積み上げることにより、河川水位を上昇させ、河川の側面に築造した水路に水を送り込み、その水を農地へ送水するのである。この「斜め堰」は、岡山県の旭川の中でも見つけることが出来る(江戸時代に築造)。

 

★要するに、読者の皆様に伝えたいことは、【時代の最先端技術=最適技術】ではないということである。最適技術とは、その技術を利用できる人々(あるいは、社会)の知識レベル・技術レベル・資金力レベル等々の諸条件の中で考えなければならないということである。

本文作成における主要な情報は、下記より引用

   https://www.fnn.jp/articles/gallery/198958?image=9

9/17(土)来学型オープンキャンパスのお知らせ

●来学型 事前予約制
9月17日(土)10時~12時半

プログラム:
・全体会(大学紹介、学部学科紹介、入試制度紹介)
・学科ガイダンス
 4学科に分かれての詳細な学科説明やミニ講義、 個別相談などを行います。
 興味のある学科の学科ガイダンスにご参加ください。

学科 講義テーマ 担当教員
法学科 ミニ講義「歴史的観点から見る民法」 鬼頭祐紀 講師
経済学科 ミニ講義「身近な出来事から学ぶプログラミングとシミュレーション」 渡辺寛之 講師
経営学科 ミニ講義「会計は何の役にたつ?」 内田浩徳 教授
商学科 ・学生による学科説明
・学生によるフィールドスタディ説明
杉本敦 准教授

・学生生活・入試個別相談
 学生生活や入試に関することなどお気軽にご相談ください。
・総合型選抜説明会 ※希望者(3年生)のみ
 総合型選抜へのエントリー要件となります。
 総合型選抜での出願をご検討の方はご参加ください。
・保護者のための大学説明会

9/17事前予約ページはこちら。

※同行者は1名までとし、ご登録いただいた保護者のみ入場可能です。
 申込後、参加の可否を入試課よりメールにてお知らせします。
 nyusi@po.osu.ac.jpからのメールを受信できるよう設定をお願いします。

その他:
①駐車場をご用意しております。
②当日、発熱等の症状がある場合は来場をお控えください。
③来場時に、体温の検温を行います。 また、消毒用アルコールをご用意しておりますので、手指消毒にご協力ください。
④来場時はマスクの着用をお願いします。
⑤「3つの密」を防ぐために来場制限を行い、座席間隔をあけ、適宜換気を行います。

今年度のオープンキャンパスは9月17日(土)で終了です。

 

〈経済学部通信〉あの思いこの思い

今回は韓先生にご寄稿いただきました。


 早朝五時ごろ目が覚めるや否や、蝉の大合唱がすでに始まった。出窓の網戸に一匹が飛びつき、耳いっぱいに訴えてきた。けなげな君だなと眼をやりながら、すっと身も心も軽やかに感じてきた。

 大暑入りしてから、いつの間にか蝉が一斉に出そろった。夏の宴を盛り上げんがための勢いだ。人の世に束の間のゲスト出演だとはいえ、さっと訪れ、わっとクライマックスへと、そしてほどなくひっそりと去っていく。その潔さが何とも言いがたい。

 「ねえ、聞こえてる?うちのほうも、蝉が鳴き始めたよ。いっぱい集ってるんよ、庭先のあのナツメの木に。」と、ほぼ同じタイミングに母から音声メッセージが入って来た。

 あのナツメの木かぁ。

 父が植えてくれた木だ。

父は他界して今年で20年。この20年の間、一番下の弟も結婚し二人の息子を育て、その長男は今9月から高校生になる。一方、母は孫たちの世話を終え、田舎の実家に戻って一人暮らしを選んだ。野菜の栽培や、鶏、犬、そして猫たちのことで毎日忙しく動いている。何より、勉強や習い事の合間に戻って来た孫たちを、心いっぱいの手料理を作って迎えるのが至福のようだ。寂しくなんかしてないよ、だって、この家、お父さんとの思い出がいっぱい詰まっているもん、と朗らかな母。

 この20年間を、母は父のことをどう思って過ごしてきたのかずっと気になっていたわたしだったが、母のその言葉に救われている。

 

 さて、あなたは?何かを残したのだろうか。

 蝉時雨の中、つながっている空を眺めつつ胸の奥から聞こえた、

「我、此処に有り」と。

 

庭先に父が植えてくれたナツメの木

 

夕日が映える母の散歩道

「入試制度説明2023」動画をアップしました!

2023年度入試制度をポイントも含めて分かりやすく説明した動画をアップしました。

詳しい入試内容は以下をご確認ください。


また、出願書類や入試日程などは以下ページをご確認ください。



何かご不明な点がございましたら、以下までお問合せください。
LINEでの個別相談も行っています!

岡山商科大学 入試課
窓口取扱時間:【月~金】8:30~16:30(13:00~14:00を除く)
※土日祝日は閉学します。
電話:086-256-6652
メール:nyusi@po.osu.ac.jp
LINE:https://page.line.me/ace1761c


オープンキャンパスにて、法学部では学生とのトークセッションを行いました

 8月27日、本学でオープンキャンパスが行われました。残暑厳しい中、ご来校くださった高校生と保護者の皆様、ありがとうございました。

レストランのテーブルに座っている人々

中程度の精度で自動的に生成された説明

法学部では筆者が3人の在学生(4年生)に来てもらって、トークセッションを行いました。

教員志望の学生と、警察官採用試験に合格した学生、そして国家公務員や県庁職員などの公務員採用試験に合格した学生です。彼らに、キャンパスライフや進路のことについて、いろいろと聞いてみました。

レストランのブースに座っている人たち

中程度の精度で自動的に生成された説明

 

3人とも、それぞれ教員になりたい、警察官になりたい、公務員になりたい、という夢を持って商大に入ってきました。そして、商大で勉強や活動をしていく中で、それぞれの目標がより具体的になっていったり、改めて掘り下げて考えたり、ということがあったかと思います。筆者はその過程をわりと間近に見てきましたので、彼らがそれぞれ努力して夢を着実に叶えつつあることを、本当にうれしく思います。

 

だいぶトークセッションは欲張りすぎて駆け足になってしまいましたが(^_^;)、来て下さった高校生のみなさんに少しでも、「やりたいことを見つける」商大の雰囲気を感じてもらえたなら、ありがたいです。

 

岡山商大論叢第58巻1号が岡山商科大学機関リポジトリにて公開されました。

本学の紀要である岡山商大論叢第58巻1号岡山商科大学機関リポジトリにて公開されました。

〈経済学部通信〉「戦争は女の顔をしていない」を読んで

今回は両角先生にご寄稿いただきました。


今回は,私が最近読んで衝撃を受けた本を一つご紹介して,お茶を濁しておくとします。

 その本はこれです。

  スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』
  (三浦みどり訳,岩波現代文庫,2016年)

  (以下の文中でのページ数はこの文庫本のもの。)

 

 ★  ★  ★

 

第2次世界大戦の帰趨を決したのが,ナチス・ドイツとソビエト連邦間の戦争(独ソ戦)であったこと。つまり,ナチス・ドイツは本質的にソ連・赤軍(アメリカ,イギリスから支援を受けながらではあったが)に敗れたのだということ。この勝利の代償としてソ連は,他国とはケタ違いの戦死者(2000万以上と言われる)を出したこと。こうしたことは今ではよく知られるようになっただろうか。ソ連・赤軍の勝利にともなう事象は,映画などでもさまざまに描かれており,本書でも触れられている。

「勝利だ! 勝利だ! <降伏>はともかく<勝利>は私たちにも理解できた。『戦争が終わった。戦争が終わったんだ!』手元の銃を発射する者,涙を拭う者,踊りまわる者。『生き延びたんだ! 生きてるんだ!』」(p.181)。

このような歓喜の爆発があり,ジューコフの凱旋パレードもあり,祝祭気分に満ちたひと時があったことは,十分理解できる。(他方,ソ連・赤軍の占領地域での略奪・暴行など,勝利の暗黒面も次第に明らかにされている。)

しかし,当然と言えば当然ながら,私たちの知るところはあまりに少ない。知らなかったことが無限にあると言える。たとえば,ソ連・赤軍の勝利にともなって,次のような出来事もあったとは,本書を読むまで私は知らなかった。

ドイツ軍の捕虜となっていた女性兵士が解放された。「そのうちの一人が妊娠していた。一番きれいな子。捕虜になって雇われていたそこの主人に犯された。主人と寝ることを強要された。その子は泣いて自分のお腹をたたいていた。『ドイツ人の子供なんか,連れて帰れない』と。女の子たちは説得した・・・でも,その子は首を吊ってしまった」(p.446)。

本書に収められているのは,このような元女性兵士一人一人の肉声である。ありふれた日常生活から途方もない大波に巻き込まれた人たち,「大きな物語に投げ込まれてしまった,小さき人々の物語」(p.63. 著者の言葉)である。

ソ連・赤軍に従軍した女性兵士は総数約100万人と推定されている。その多くはコムソモールからの志願者であった模様である。衛生・看護兵として従軍した人が多いようだが(これは他国でも例がある),そればかりではない。通信・兵站など,比較的後方の勤務から,狙撃兵,戦車兵,砲兵,工兵,パイロット,パルチザンに至るまで,最前線で戦った女性兵士も数多い。

戦後,それらの女性兵士たちは,例外なく固く口を閉ざして,戦地での経験を語ろうとしなかったという。それはなぜだろうか。

第一に,自分たちの経験があまりに凄惨で,言葉にできなかったということが考えられるだろう。彼女たちは,たとえば,「味方の兵士たちがライフルだけでドイツ軍の戦車に飛びかかっていった」のを目撃したのだ。「銃床で装甲板をたたいているのを見たことよ。たたいて,わめいて,泣いてたわ,倒れるまで」(p.69)。忘れたくても生涯忘れられない場面だと語られている。ある赤軍伍長が語るところでは,「補充兵がやって来る・・・来たと思ったら,もういないんだから。二,三日のことさ。1942年のことだった。一番つらい,困難な時だった。300人いたうち,その日の終わりには10人しか生き残っていないこともあった」(p.473)。

そのような戦場で彼女たちは,数十キロの重さの砲弾を担いで運び,敵軍と撃ち合い,弾雨の中で負傷兵を引きずって救け,休む間もなく手当てや看護に当たった。「戦地では半分人間,半分獣という感じ。そう・・・ほかに生き延びる道はなかったわ。もし,人間の部分しかなかったら,生き延びられなかった。首をひねられちゃう」(p.98)。肉体と精神の極限的酷使が身体の変調をもたらすのは当然のことでもあろう。「身体そのものが戦争に順応してしまって,戦中,女のあれが全く止まってしまいました。戦後子供を産めなくなった女の人がたくさんいました」(p.297)。

第二に,そこまでの自己犠牲を払って,どうにか生き延びて復員した後,命がけで守った祖国で待ち受けていた境遇を考えねばならない。ソ連政府が,前線の悲惨さを極力隠そうとしていたという事情はあった。しかし,それ以上に深刻だったかもしれない仕打ちを受けたようだ。これも私は知らなかった。

狙撃兵だったある女性が言う。「男たちは黙っていたけど,女たちは? 女たちはこう言ったんです。『あんたたちが戦地で何をしていたか知ってるわ。若さで誘惑して,あたしたちの亭主と懇ろになってたんだろ。戦地のあばずれ,戦争の雌犬め・・・』ありとあらゆる侮辱を受けました」(p.367)。にわかに信じられないような話なのだが,そういう心ない言葉もあったのだろう。元兵士だった男性の証言もある。「私の妻は馬鹿な女じゃないが,戦争に行っていた女たちのことを悪く言っている。『花婿探しに行っていたんでしょう』『恋に血道をあげていたんでしょう』と。実際は女の子たちはまじめだった。ほとんどが純潔だった」(p.136)。軍の看護長だったある女性は,三回も負傷した末に復員したのだが,身内はおらず,生活に困窮し掃除婦の仕事で何とか暮らしていた。しかし,自分が傷痍軍人(補償を受けられる)だということを誰にも明かさず,その証明書も破り捨てたという。「『どうして破ってしまったの?』と訊くと『そんなもの持ってたら誰が私なんかと結婚してくれる?』と泣くんです」(p.164)。

そのような状況下で口を閉ざして生きてきた元女性兵士たちが,戦後40年ほど経過したころから,自分の経験を語り始めた。相当の年配となって,ようやく語れる気分となったものだろうか。また,「黙ったままで人生を終わってたまるか」という気分もあったらしい。ある元女性兵士はこう訴える。「あたしたちが死んだあとは何が残るんでしょう? あたしたちが生きているうちに訊いておいて。あたしたちがいなくなってから作り事をいわないで。今のうちに訊いてちょうだい」(p.40)。そうして集められた大量の聞き書きが原著に収録されたのだが,原著の初版は1984年刊行,ペレストロイカの直前に強い検閲を受けながらの刊行だった。(削除された個所はその後の版で復元された。)

ところで,白状すると私は「ジェンダー」に関する議論にはまったく疎い。ほとんど無知だと言ってもよい。そんな私から見ると,元女性兵士たちが,地獄の戦場にあって「女らしさ」への渇望を抱いていたという証言は,興味深く感じられる。また,そこには一種のユーモアさえ感じられるのだが,それも歳月の経過のためであろうか。そういった証言をいくつか引用しておく。

二等兵:「戦争で一番恐ろしかったのは,男物のパンツをはいていることだよ。これはいやだった。これがあたしには・・・うまく言えないけど・・・・第一とてもみっともない・・・。祖国のために死んでもいい覚悟で戦地にいて,はいているのは男物のパンツなんだよ」(p.124)。

海軍一等兵:「ちょっとでも休憩がもらえると,何か刺繍をしたり,ゲートルを肩掛けに作り変えたり,何かしら女らしい手仕事がしたかった。女らしいことに飢えていました」(p.160)。

軍曹(通信班長):「私たちは土の中で暮らしていました,モグラみたいに。それでも何かしらどうでもいい小物をかざっていました。たとえば春には小枝をビンに差したりして。明日自分はもうこの世にいないのかもしれないと,ふと思って・・・」(p.285)。

このような「女らしさ」への渇望は,上に引いた「半分人間,半分獣」という前線兵士の「人間」の部分を支えていたのではなかったか。そのように受け取るのは誤りだろうか。

ともあれ,ソ連・赤軍の女性兵士たちは,女性であったがゆえに,男性と比して二重,三重に苛烈な人生を過ごし,ある人は戦死し,ある人は生き延びた。どのページを開いても胸が痛くなるような証言が記録されている本で,読んでいてつらくもなるのだが,現代史に興味のある方にはご一読をお勧めする。

(経済学部 両角)