〈経済学部通信〉ある教員の夏季休業期間の生活

今回は池田先生にご寄稿いただきました。


 皆さん,特に学生の中には,前期と後期の間(夏季休業期間)に教員は何をしているのか疑問に思ったことがある方がいらっしゃるかもしれません。大学生の休み期間は実習やインターン,集中講義などを除けば年間で3か月程度あるのが一般的かと思います。ではこの期間,教員も学生の休みに合わせて同程度の休日を過ごしているのでしょうか?

 

 

私も学生の時ふと疑問に思ったことがありましたが,もちろん答えはNoです。

学内の仕事(学務と呼んでおきます)と個人の研究で,多くの教員は割と忙しい生活を送っています。以下では私の夏季休業期間を簡単に振り返ることで,教員の生活の一端を皆さんに知っていただけたらと思います。なお,学務につきましては最小限の記述に留めておりますので,実際には色んな細かい仕事もしております。

 

 

今年の私の夏季休業中の研究は,“The Sixth Biennial Conference of East Asian Environmental History (EAEH 2021)”という学会の発表準備に多くの時間が費やされました(URLはhttp://www.aeaeh.org/eaeh2021.htm)。

 

 

7月上旬に学会から発表の草稿を提出するようにとの通知を受けると,前期の試験や成績との仕事を行う傍らで原稿を作成しなければならなくなりました。締め切りは8月上旬。日本の大学の多くでは教員が一番忙しい時です。(なお,アメリカでは9月に新学期スタートが多く比較的時間に余裕があるため,この時期が締め切りに設定されやすいという事情もあります。)

なんとか期日までに原稿をし終えると,ここから学会発表への準備に入ります。今回の発表は他の先生との共同研究でしたので,発表用のパワーポイント(PPT)作成をしつつ発表へのミーティングも適宜行いました。

 

 

また,この時期から後期の講義資料作成を開始します。1科目につき15講分がありますので,意外と地道に長い時間をかけなければならないのです。

 

 

このようにしばらくは研究と学務を並行していましたが,8月下旬にコロナウィルスのワクチン接種(2回目)がやってきました。ここで副反応があったため,数日の静養をとることになります。

 

 

PPT作成がある程度仕上がったのは,8月末です。「めっちゃかかるやん!」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが,学会発表には厳格な時間制限があり,原稿と同じくこちらも何度も推敲を重ねなければなりません。また,その他の仕事もあるなかではこれだけに集中する訳にもいかず,気づいたら日数が経ってしまいました。

 

多くの場合,研究者は制限時間内にどうやって発表を収めようかに四苦八苦します(大体時間が少ない)。今回の私の発表も,一度できたPPTでは発表に20分かかってしまい,持ち時間8分内にどのように圧縮しようか頭を悩ませました。特に日本語以外の発表の場合,自分の言いたいことが正確に伝わるのか,という問題もでてきます(単純に語学力の欠如かも!?)。

 

 

これとは別に,8月から統計データをExcelに打ち込むという作業も進めていました。私が研究で利用するデータはほとんどが第二次世界大戦以前のもので,統計の記述のされ方も多様なためひとつひとつ念入りにExcel入力しなくてはいけません。意外と時間がかかるため,講義の無い休業期間にしておく必要があります。

 

 

さて,9月に入るといよいよ発表本番に向けた練習です。内容が上手く整理されているか,相手に伝わるような説明ができているか,など確認事項をひとさらいします。また,オンラインでの発表が標準となっている昨今では,アニメーションの使い方も対面とは違った工夫が必要になります。何度か変更を加え,前日まで入念に確認作業を行いました。

 

 

さて,本番ですが,残念ながら学会の規則上Zoomの録画撮影などは禁止されており,どのような様子だったのか視覚を通じてお伝えすることはできません。

感想だけを記しておきますが,オンライン学会での発表は対面とは異なり,多くの先生がいるプレッシャーを感じることはさほどありませんでした。一方で機材のトラブルや画面共有,音声確認など別の心配が本番までつきまといます。改めて,オンラインの可能性を感じつつもパソコンに弱い人には大変な社会が到来したことを実感しました。

 

 

発表自体は無事(?)に終わったわけですが,9月に入り講義資料の作成が滞っていました。そのため,翌日から慌てて作成を再開することとなります。といってもこの時点で9月10日前後。後期開始の5日前です。結局,後期の講義資料は後半一部を学期内に仕上げることとなり,夏季休業期間を終えることとなりました。

 

 

以上,簡単に私の夏季休業期間の生活を振り返ってみました。書くと非常にあっさりとした内容ですが,1日1日時間が足りないのを実感したのはかなり久しぶりでした。それだけに,充実していたといえばそうなのかもしれません。

 

 

後期が始まった今,上記のような生活は当然しばらくおあずけになります。

後期は初回から対面授業を行うことができております。この環境をありがたく思いながら,また日々の生活を大事に過ごしていけたらと思っています。

(経済学部 池田)

〈経済学部通信〉現在の音階へと受け継がれたピュタゴラス音律

今回は石原先生にご寄稿いただきました.


紀元前500年頃に活躍したピュタゴラスは数学者・哲学者ですが、音楽の世界でも有名人なのです。

ある日、鍛冶屋の前を通りかかった彼は「キンコンカンコン」心地よい響きを聞いて、ふたつの音の振動数に注目します。
心地よい響き(協和音程)はふたつの音の振動数が、単純な整数比である事を発見したのです。

Pythagoras

弦の長さでみると、8度(オクターブ)は2:1となり5度(ド・ソ)は3:2そして4度(ド・ファ)は4:3です。
この3つの音程は心地よく響く音程です。この心地よい響きから完全5度を繰り返してみます。
ド5度⇒ソ、ソ5度⇒レ、レ5度⇒ラ、ラ5度⇒ミ、のように繰り返していくと音階に含まれるすべての音が作られます。

Scale
 (○注:レ♭=ド♯)

このようにしてできた音階を「ピュタゴラス音律」と呼んでいます。このようにして音階は紀元前500年頃に誕生したのです。

しかし、音楽の進化とともに音階は少しずつ変化していきます。
11世紀頃までの音楽はモノフォニー(1つの旋律)でしたが、しだいにポリフォニー(多声音楽)になっていきます。
ポリフォニーの音楽になってくるとピュタゴラス音律では3度(ド・ミ)や6度(ド・ラ)の音程が美しく響きません。そこで、15世紀後半ピュタゴラス音律を基に3度、6度も美しく響く音律『純正調』が完成します。(4度、5度はピュタゴラス音律のままです。)
美しい和音を生み出した純正調ですが、すべての和音が美しく響くわけではありません。
音楽が複雑になり転調が多用され1曲の中で何度も転調が繰り返されるような楽曲が増えてくると新しい音階が必要になってきます。
ピュタゴラス以来理想であった単純な整数比の理想を捨てた究極の音律が17世紀に登場するのです。
1オクターブを12等分しすべて均一の周波数比で構成された『平均律』です。
平均律は、ピュタゴラスの音律以来約2000年後に確立され、どのような転調にも対応でき作曲家の多様な要求に応えうる音律ですが、ピアノが一般家庭に普及し始めた19世紀になって広く使われるようになります。
現在では平均律が一般的ですが、オーケストラや吹奏樂で使われる弦楽器や管楽器は音程の微調整ができるので3度、4度、5度、6度などのハーモニーでは美しく響く純正調で演奏し、平均律で調律されたピアノと一緒に演奏するときなどは平均律に合わせるなど微妙に音を調整しているのです。
(経済学部 石原)

イラスト出典:

  • 「西洋音楽史」100エピソード 久保田慶一著 
  • 「音楽の科学」岩宮眞一郎著

〈経済学部通信〉岡山市道伊島町二丁目吉宗線沿線の風景~「ルーアン」から「レッキー」まで~

今回は有利先生にご寄稿頂きました。


 商大の正門から取付道路を北へ約100メートル行ったところに「商大前」という三叉路の交差点がある。それを渡ったところに洋食のレストラン「ルーアン」がある。土日には、店の外に行列ができるほどの人気店で「海老カツレツ」がおすすめ。大学の同僚と一緒の時や栄養補給が必要な時には利用させてもらった。今でもそうである。いろんな点で商大とつながりの深い、有名店である。なお、私が商大に着任した頃は300メートルくらい東側にあった。来年は開店30周年らしい。

2000年から約15年余り、商大近くに住んだ。商大の正門を出て右折したところに「ジャクソン」という喫茶店があり、Ⅰ限目の授業が無い日は、そこで420円の「モーニング」を食べるのが一日の始まりだった。ジャクソンは廃業され、併設の学生アパート(その後建て直し)とともに商大の施設になっている。私の昼食は、学生食堂が多かったように思う。

ルーアン

 「商大前」交差点を通る片側2車線の道路は旧国道53号線、新しいバイパスが国道になっているので正式名称は「岡山市道伊島町二丁目吉宗線」、つまり伊島町二丁目から吉宗までの市道である。この道自体が、北の烏山の根際(ねき)を通る道の新道であったのだろう。道を作ったときに、もともと東西南北に区切られていた田畑を斜めに北西から南東へと乱暴に一直線に分断したとみられる。沿道の各店舗は土地区画に従って建てられているので、道に対し正対していない。そのため、車線からでは、上りにせよ下りにせよ、店を斜め左後ろから見ることになり、店の状況が分かりにくい。

 めん類を食べたい時はルーアンの東側の「ラーメンさくら」に入る。私は、夏は「つけ麺」、冬は「坦々麺」を頼む。2000年頃は、そこに「養老の滝」があり、たまに飲みに行った。道に沿って東南に進むと、道と区画の関係で奥行きのない三角形の建物がある。そこに「レッツ悟飯」という小規模な食堂がある。以前は「アルペジオ」と言い、急な階段を登った2階で商大生が大学祭の打ち合わせをしていた。さらに、美容店(一時洋服屋だった?)の前をすぎると、喫茶店「ユートピア」や小さな和食店、さらにカレー専門店「サフラン」/「ガラムマサラ」があったがいずれも無くなり、惣菜屋が新たに開店した。宅急便の発送でお世話になったセブンイレブンを過ぎると、2000年以前から続いている「かつ亭」がある。その先、歩行者用の陸橋の手前に、私が苦手としていた喫茶店「楽庵」があったが廃業し、最近「ホトトギスファームカフェ」が開店した。なかなか洒落た店で、所有している農場で栽培した野菜や畜産物で料理を出してくれる。クッキー類もおいしいお薦めの店である。

ホトトギスファームカフェ

 その先に、パチンコ店があり商大生の出入りを心配していたが、今は大きなアパートに変わっている。東横の食堂「松屋」と模型販売店「模型工場」をすぎると、スパゲッチの「ジョリーパスタ」がある。さらに2軒過ぎ、小道を渡ったところに食堂「レッキー」がある。用水と市道に挟まれた、斧の頭を立てたような尖った打ち抜きの3階建ての建物である。高齢?の御夫婦に安くてボリュームのある定食を作っていただける。ネットでみても評判が良い。人恋しくなると雑談にお伺いした。柔道部の現役、OBも世話になっていたらしい。いつまでも、お元気に!と思わずにはおられない。

レッキー

 * * * * * * *

 ここまでが大体500メートル。反対側にわたって道を戻ると、医院、自動車関係、ローソン、中国労金、美容、理容、不動産、技術コンサルタント会社などが並んでいる。もちろん、飲食店もあるが、道の北側と産業分野が違う。その中で忘れられないのは、やや高齢のお母さんがやっていた「食べ吾呂」という和食屋である。学生に和食を安く提供したい(確か定食が学生500円、一般は600円)ということで、始められた。親元を離れあるいは留学して来ている商大生の人生相談にも乗っていただいていたらしい。学生の親がお礼に来られたり、定食内容をみて安心して帰られたりしたという話も聞いた。ただ、残念なことに、ある時、癌で急に亡くなられた。建具師をしておられたご主人はどうしておられるだろうか。

 商大前交差点に戻る直前の場所に、2000年当時は「つる幸」という日本酒が飲める料理屋があった。当時、遠隔から来て泊まっていた先生方の歓談の場だった。その後、惣菜屋や飲み屋に変わったが、今は商売はされていない。その横に、一時期、野球部の食堂になっていた「きさらぎ」がある。散策路の終点は、コンビニ「ら・む~マート」である。

 では、産業構造はどうなっているか。ゼンリンの住宅地図をもとに分類してみると、別表のようになる。

産業別事業所数
資料出所)各年のゼンリン住宅地図を基に有利作成
注)ビル内の店舗、事務所については、完全には把握できていない。また、産業分類も厳密ではない。
  合計 金融・不動産 卸売小売 飲食店等 自動車関連 理美容 医院 教育学習支援 専門技術サービス
計 コンビニ 計 食堂 飲み屋 喫茶店 持ち帰り・配達
2000  35 4 4 1 14 9 2 2 1 5 4 2 1 1
2010  36  4  5  2  14  10  1  1  2  4 3  3  2  1
2021  34  3  6  3  12  8  0  1  3  2 4   3  2  2

道に面している建物にある店舗だけに限定したが、ビルの1階に入居している店は完全には把握しきれていない。たとえば、昔、サンライト津島の1階にパソコン工房、その奥に棒球場があったが、抜けている。道向かいにもう一軒飲み屋があったかもしれない。そういう前提で見ていただきたい。店舗総数(事業所数)は、この20年間、35程度と殆ど変わっていない。構成としては、全てが広い意味でのサービス業で、中でも飲食店等が4割と多い。しかし、店でも食事よりも、コンビニも含め持ち帰りや配達が増加する変化が見受けられる。意外なのは、美容室は多いが、衣料店がないことである。品揃えが必要であるから、小規模店舗しか立地できない地域では無理なのかもしれない。

 いずれの店でも、商大生、商大関係者を大切に家族のように扱ってくれる。大変ありがたい。このストリートが、もう少し活気を帯びたものとなるよう願っている。

(経済学部 有利)

〈経済学部通信〉大きな声と滑舌

今回は宮島先生にご寄稿頂きました。

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  皆さんは次の詩を聞いたことがありますか。

 

あめんぼ あかいな アイウエオ

うきもに こえびも およいでる

かきのき くりのき カキクケコ

きつつき こつこつ かれけやき

ささげに すをかけ サシスセソ。

そのうお あさせで さしました

たちましょ らっぱで タチツテト

トテトテ タッタと とびたった

なめくじ のろのろ ナニヌネノ

なんどに ぬめって なにねばる

はとぽっぽ ほろほろ ハヒフヘホ。

ひなたの おへやにゃ ふえをふく。

まいまい ねじまき マミムメモ

うめのみ おちても みもしまい。

やきぐり ゆでぐり ヤイユエヨ

やまだに ひのつく よいのいえ

らいちょうは さむかろ ラリルレロ

れんげが さいたら るりのとり

わいわい わっしょい ワイウエヲ

うえきや いどがえ おまつりだ

 

 これは北原白秋の詩です。NHKや民放のアナウンサーや舞台役者、企業の新人研修などで定番になっている発声練習の詩ですね。友達と話すときや家族と話すときは普通に会話ができるが、人前で発表などをするときは声が小さくなってしまう人がなんと多いことか。

ゼミでは大きい声をお腹から出すよう求めているが、その意味をなかなか理解できない学生がいます。プレゼンテーションの構成やストーリーの磨き方を書いた本は多いが、声の出し方山の取り方などを書いた本は意外と少ないことに驚く。私の英語の講義では、少々の文法ミスよりも声の大きい学生のスピーチには加点するが、声の小さい学生は減点するようにしている。この北原白秋の詩を使って力強く言葉を出し、滑舌よく文章を読める練習をしして、相手に確実に伝え、美しい声で話す力を持たせたい。

 どんなに素晴らしい内容のプレゼンテーションでも、それを伝える声が良くないと、相手には評価されないでしょう。上の写真は高校生がお芝居を演じているところですが演劇部員は日頃の発声練習のおかげか、お芝居以外の発表の場でも大いにその力を発揮します。カナダやオーストラリアでは高等教育に演劇が表現力やコミュニケーション能力を身に着けさせるのを目的に一つの教科として存在しているが、日本にはまだ認められて異なことが日本人のプレゼン能力が低いと言われる原因の一つかもしれません。

 

複式呼吸

 相手に届く声を出すには複式呼吸ができないとだめです。正しい姿勢で9秒ぐらい細く長くお腹がへこむように吐き出します。息が全部出たら、お腹の力を抜きます。そうすると空気がおのずと入ってくるので、お腹がふくらむように数秒息を吸います。要するにお腹から声を出す練習をするといいです。相手にはっきりとした声を届ければプレゼンは楽に進みます。この複式呼吸をしながら声を出す練習をすると言葉が力強くなり相手は気持ちよく聞き取ることが出来ます。複式呼吸のやり方はインターネットにたくさん出ているのでそれを参考に練習をしてみてください。

 

早口言葉

 早口言葉でもっとも有名なのはういろううりです。

せっしゃおやかたともうすは、 おたちあいのうちに、

ごぞんじのかたも ござりましょうが、

おえどをたって にじゅうりかみがた、

そうしゅうおだわら いっしきまちを おすぎなされて、

あおものちょうを のぼりへ おいでなさるれば、

らんかんばし とらやとうえもん

ただいまは ていはついたして、えんさいとなのりまする。

がんちょうより、おおつごもりまで、おてにいれまする このくすりは・・・・

このういろううりを毎日練習しているとかなり滑舌がよくなります。最初はなかなかうまく読めないでしょうが、何回も練習するとスラスラと声がでるようになり、他の文章を読むのも案外簡単に読めるようになってきます。是非試してみてください。このういろううりもインターネットで見ることができますから。今日から始めましょう。また、次の早口言葉を三回連続して言えるようチャレンジしてみてください。

  第五交響曲観客驚愕(3回)

  中小商工業振興会議(3回)

  隣の客はよく柿食う客だ。(3回)

  青巻紙黄巻紙赤巻紙(3回)

  バスガス爆発(3回)

 今から練習しておいて、滑舌よく就職試験の面接やプレゼンテーションに臨んでください。あなたもアナウンサーや役者のように美しい声が出てきますよ。

(経済学部 宮島)

 

〈経済学部通信〉役に立たない(多分)経済学者案内~こぼれ話~

今回は山下先生にご寄稿頂きました。

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(自然)科学者の伝記を読んだり、エピソードを聞いたりしたことはあるでしょう。たとえば、アイザック・ニュートンやアルベルト・アインシュタイン、そして、日本人なら湯川秀樹。この人たちの学問上の業績はよく知らなくても、この人たちにあこがれて科学者を目指す人がいます。また、学生や研究者ならば、こういった先達のエピソードや人となりを知り、「なぜこんな考え方がでてきたのだろう」という疑問に答えを得ることがあります。実は、経済学でも同じことがあるのです。そこで、今回は経済学にとってのニュートンと呼んでもよいアダム・スミスの人となりやエピソードを紹介していきます。学説史的なことは専門外ですのであまり述べません。もし、アダム・スミスという人に興味をもち、親しみを感じたら、彼の著書(文庫本であります)や研究書を読んでみてください。

【アダム・スミス】1723-1790、スコットランド生まれ

アダム・スミスの名前を知らない人はいないでしょう。彼は「経済学の父」と呼ばれています。代表的な著作は、「見えざる手」という言葉が有名な「国富論」(1776)、正式な名前はもうすこし長く「諸国民の富の本質と原因についての考察」と言います。現在に至るすべての経済学者と経済学部生はアダム・スミスの弟子と言ってもよいでしょう。

さて、この偉大なるアダム・スミスは、内向的で、さらに子どものころから放心癖(ぼ~っとする癖)がありました。実は、スミスは3歳か4歳のときに誘拐に遭っています。おそらく、ぼーっとしていたところをさらわれたのでしょう。さらっていったのは放浪していたスリの一味でした。早速、スリは幼いスミスを使って「仕事」を始めたのですが全然役に立ちません。何せ、スミスは人見知りです。記録ではスミスはすぐに親元に連れ戻されたとありますが、実際は送り返されたのでしょう。(多分、元いたところに戻された。)しかし、このまま、スミスが帰らなかったら現在のような経済学は存在しなかったでしょう。放心癖のほうは生涯続いたそうで、あるときは書類に署名するとき前に書いた人の名前をそのまま書き写す、役人をしていたときは目の前で守衛の兵隊が捧げ銃(ささげつつ)をしたとき、自分も持っていたステッキで反射的に同じ姿勢をとる、議論に集中していてお茶を入れるはずのポットに茶葉の代わりにバター付きのパンを入れお湯を注ぎ飲んでから気づく(まずかったそうです。)、国富論の執筆中にはガウンを羽織ったまま25km近く散歩したということが記録されています。

さて、スミスは14歳でスコットランドのグラスゴー大学に入学し、道徳哲学を学びます。卒業後、17歳で当時の出世コースの王道として英国国教会の聖職者になるべくイングランドのオックスフォード大学に進学しますが、当時のオックスフォードの教師連のやる気のなさ(岡山商大とは大違いです。)にがっかりして23歳で中退します。オックスフォードの教師の様子はスミスにとってはショックだったようで、中退から30年後に著した「国富論」に「オックスフォードの教師は教えるふりすらしない」と記しています。その後、スコットランドに戻り、エディンバラ大学を経てグラスゴー大学に戻り道徳哲学教授に就任します。退職後はフランスに渡ったりもしますが、スコットランドに戻り、エディンバラで生涯を終えます。そして、死の直前には未発表の原稿は全部燃やすように命じました。(しかし、一部は残り現在出版されています。)

スミスの代表的な著作には前述した「国富論」より前に書かれた(正確には講義録)「道徳感情論」(1759)があります。タイトルからもわかるように人の感情に注目し、利己心、共感、道徳性の形成など内面を深く掘り下げています。ここに彼の内向的な性格がよい具合に生きています。これは17年後に著された「国富論」にも生かされています。「国富論」を読んでいくと気づくのですが、まるでスケッチでもしているように当時の社会を言葉で描写しています。このまま映像化できそうなほどです。ただ、表面的な描写にとどまらず、社会組織(市場や国家)や経済活動(分業など)、経済現象(独占価格の決定など)の背後にある人の心理(特に感情)についての洞察がその都度記されています。そして、それらの記述から「各人が各様に自分の利益を追求する経済的自由をもつ社会が良い」というスミスの信念(あるいは強力な主観)が見えてきます。ただし、スミスは富裕層や権力者といった特権階級のみが好き勝手に振る舞い利益を得ることを擁護しているのではありません。あらゆる層の国民の繁栄を犠牲にして強者のみが反映することについては、重商主義批判のなかで批判しています。「重商主義の諸規制においては、・・・製造業者(注)特定の生産者といったような意味)の利益はきわめて格別の注意を払われてきた。そして、消費者の利益というよりは、・・・製造業者の利益の犠牲にされてきたのである」(「国富論」第4編第8章「重商主義についての結論」より)とあります。また、スミスは当時の英国の植民地支配にも批判的でした。「国富論」に出版年を思い出してください。1776年。奇しくも英国に対して、当時植民地であったアメリカが独立宣言を発した年でありました。

 

さて、普段私は経済理論を講義し、また、研究しています。現在の理論は、多くの場合、新古典派経済学のガチガチの仮定のもとで高度に抽象化されています。確かに議論を進めるためには仮定や抽象化は必要です。ジョーン・ロビンソン(1903-1983、英国の女性経済学者)が言ったように「縮尺1分の1の地図は役立たない」のです。(地図は高度に抽象化されていますね。)

 とは言え、そんな中にずっといると経済学が「日常生活を営んでいる人間についての研究」(アルフレッド・マーシャル(1842-1924、英国の経済学者))であることを忘れ、ただの計算屋になったような錯覚に陥ります。そのような状態から抜け出すために、(専門分野ではない)経済学説史や経済学者の伝記(に近いもの)に目を向けるようにしています。そうすることで「経済学の豊かさ」を確認できるのです。

(経済学部 山下賢二)

〈経済学部通信〉花を飾ってみませんか。

今回は渡辺先生にご寄稿頂きました。

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 コロナ渦においてはオンライン授業(受講)が推奨され、外出して人と会う機会が減り、自室で過ごす時間が長くなる傾向にあると思います。そのような生活様式の変化もあって、特に一人暮らしの学生さんの中には気が滅入ってしまう人も居るという話を聞きました。

 そのようなときはパソコンやスマートフォンを使ってオンライン上で誰かとコミュニケーションをとることにより、憂鬱な気分を変えることも大切だと思います。しかし、それでは増々パソコンやスマートフォンと過ごす時間が長くなってしまうという問題があるかもしれません。

 

 私はときどき花を買って部屋に飾ります。花は生花店だけではなく、スーパーやホームセンターでも買うことができます。花瓶に飾り易いよう、数本だけラッピングされて数百円で売っていることもあります。花からもたらされる効果は人それぞれだと思いますが、私は自分の年齢が四十歳に近づいてきて、花を飾る意味が少しずつ分かってきたような気がします。みなさんにとって花を飾る意味とはどのようなものでしょうか。

 自分の部屋に、花を飾ってみませんか。

 

 

(経済学部 渡辺)

〈経済学部通信〉情けは人のためならず:ワクチンとクジラの話

今回は三谷先生にご寄稿頂きました。

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日本には「情けは人のためならず」ということわざがある。しかし、多くの人が(A)「人に情けを掛けて助けてやることは,結局はその人のためにならない」という誤った解釈をしている。正しくは、(B)「人に情けを掛けておくと,巡り巡って結局は自分のためになる」という意味である。文化庁の2010年度の「国語に関する世論調査」によると、(A)のような誤った解釈をしている人の割合と(B)のような正しい解釈をしている人の割合がほぼ同じである。しかし、年齢別にみると高齢層では(B)のような正しい解釈をしている人の割合の方が高いのに対し、20代、30代の若年層では(A)のような誤った解釈をする人の割合が正しい解釈をする人の割合の倍近くに上っている[i]。

このことわざは経済学的には利他的動機や所得再分配政策の意義などを考える上でも大変興味深いが、「情けをかけることが巡り巡って結局は自分のためになる」という投資的側面も示唆している。以下では、主に投資的側面に着目して、最近目にした2つの記事について考察してみたい。

(1)ワクチンの話

コロナ禍のG7が終わった。アメリカのトランプ前大統領が参加した昨年までとは打って変わってG7の協調姿勢が戻った感がある。中でも新型コロナ感染症対策として発展途上国に対する10億回分のワクチンの供与が発表されたことが注目される。人道的な見地からは当然のことであるが、経済学的に見ても非常に賢明な投資であるといえる。

IMFの試算によれば、来年4月までに全世界の人口の約70%にワクチン接種を行うのに500億ドルの費用がかかる。しかし、それが達成されれば多くの命が助かるということに加えて、2025年までの全世界の累積経済便益は9兆ドルに上ると予想される。投資としてみれば4年間の収益率はなんと17,900%にも上る。発展途上国へのワクチン供与が全世界の接種率を高め、新型コロナ感染症に対する集団免疫が形成され、世界経済が回復・発展し、巡り巡ってその恩恵がワクチンを供与した国々にも及んでくる。しかも信じられないほど高い収益率で。情けは人のためならず。誰がこんなうまい話(‟世紀の投資機会”)を逃すであろうか、と英『エコノミスト』誌の記事は書いている[ii]。

(2)クジラの話

新聞に掲載されたある投信株式会社の広告である[iii]。少し長いがその一部を引用しよう。

「…1万ドルで売れるシロナガスクジラが世界に7万5000頭いるとして、自然の摂理を踏まえ、種が持続できる年2000頭を捕獲し続けるとする。毎年2000万ドルが手に入り、将来にわたって漁ができることになる。一方、一気に全頭捕獲し7億5000万ドルを手にし、それを年率5%で運用できれば毎年3750万ドル手に入れられる。種の保存を考えず、金融で儲けた方が得をすることになる[iv]。

人類はクジラの将来について考える余裕ができた。…(中略)…

ところが人はいざ「投資、儲け、利益」となると倫理観は吹き飛んでしまう。「今だけ、金だけ、自分だけ」になってしまう。世界全体の成長率が3%程度。投資になると1、2年で倍にしなければならないと思っている。…」

今度の「情け」の対象は「人」ではなくて「クジラ」あるいは「種の保存・多様性」、「自然環境」である。シロナガスクジラのように絶滅の危機に瀕している種を保存することは、漁業資源としてだけでなく、種の多様性を維持し、自然環境の破壊を防いで、巡り巡って将来にわたって人類に恩恵を与えるはずである。その意味ではことわざがいうようにまさに人類へリターンが戻ってくる投資である。しかし、収益率が低いために種の保存という選択肢が選ばれない。どこに問題があるのであろうか。ESG投資のように自然環境保護を重視する投資機会(金融)がまだ十分に発達していないからだろうか。あるいはそもそも人間の本性として投資となると強欲で近視眼的な行動をとるからであろうか。

 

[i] 文化庁「「情けは人のためならず」の意味」『文化庁月報』2012年3月号(No.522)

[ii] The Economist, “The West is passing up the opportunity of the century,” Jun. 12 2021 edition.

[iii] さわかみ投信株式会社広告「「今だけ、金だけ、自分だけ」が本望か!」日本経済新聞2021年6月1日朝刊

[iv] 原典はColin W. Clark (2006), The Worldwide Crisis in Fisheries: Economic Models and Human Behavior, Cambridge University Press.

(経済学部 三谷)

〈経済学部通信〉絶望的「IT弱者」が2020年度をふり返る。

今回は両角先生にご寄稿頂きました。

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1年ちょっと前,2020年4月のある日,最初の「緊急事態宣言」が出され,不要不急の外出を自粛せよと呼びかけられている最中,私はとある理由で出かけておりました。お店はほとんど閉まっているし,人もクルマもごく少なく,戦争でも始まったかという異様な雰囲気は忘れがたいものです(まあ一種の「戦争」が始まったとは言えるか)。私には,あるものを急いで手に入れる必要があって,行き先は携帯電話ショップでありました(そこが営業中であることは調べておいた)。

 

絶望的な「IT弱者」である私にとって,オンラインでのリモート授業という前代未聞の事態に自力で対処せよというのは,目の前が暗くなるようなもの。何をどうしたらいいのか。とにかく自分でやれることを探すしかない。で,スライドを作って,音声を録音して,ビデオに変換して,動画投稿サイトで流す,という方法に行き着いたのでした。これなら私でも何とかやれるか,これでやるしかないだろう,と。

 

そこで実験に取りかかったところ,ただちに問題に直面したのです。動画投稿サイトでアカウントを取る必要があるのはいいとして,そのための個人認証にパソコンではダメ,ガラケーでもダメ,スマホしか受けつけてくれない,と。私,スマホは持ってません(ガラケーは契約していたが,通常,電源を切って引き出しに放り込んである。必要なときだけ使う)。この機会にガラケーからスマホに乗り換えるしかないかと,ショップに急いだのでありました。

 

そのショップで若い女性の店員さんが,

「ご希望の機種はありますか?」

と言うので,

「一番安いのにしてください」と。

そこで,1台取り出して見せてくれたのですが,いくらかと聞いてみたら,タダでくれるというのでたまげた。おい,大丈夫か。型落ち,売れ残り品で,タダでもさばければいいってか。タダほど高いものはない,とも言うしな。まあしかし,スマホでありさえすればいいので,これにしておこう,となった次第です。契約内容ももちろん一番安いものにしました。

 

カウンターで使い方の説明を聞いていたところ,私よりもう少し年上のおじいさんが入店してきたのです。自分のスマホを取り出して,別の店員さんに向かって,

「これを,前の2つ折りの携帯電話に変えてくれんじゃろうか?」と。

私とは逆の用件で来店されたのでした。ガラケーもそのうち完全廃止になるそうだし,店員さんも苦慮している模様でありました。

 

スマホを手に入れた後,近くの電化製品店が開いていたので,パソコン用の外付けマイクも買っておこうと寄ってみたのです。街はガラガラなのに店内は意外と混雑しておりました。外付けマイクはどこにあるかなと,通りがかった男性の店員さんに尋ねてみました。すると店員さんは,

「ありませんッ!」と。

その剣幕に思わずタジタジとなりましたが,さすがにちょっと悪かったと思ったのか,メーカー段階から品切れで入荷の見込みも立たないと,ややていねいに説明してくれました。それならと予約購入の手続きをして,帰宅したのでした。やれやれ。

 

何とかして「時代遅れ」の人間のまま生き抜いてやろうと日々努力している私も,とうとうスマホを持たされることとなった顛末。ちょっと笑える場面もあったという2020年度の冒頭のお話でしたが,その後は,地獄の責め苦のような日々が延々と続くこととなります。もしもこの投稿の次回があるなら,続きをまた書くかもしれません。ありがとうございました(私のスマホは,もちろん個人認証に使えたが,その後は電源を切られて引き出しで眠っている)。

(経済学部 両角)

〈経済学部通信〉デジタル通貨発行で現金は消えるのか

 CDの全盛期に、レコードはCDの普及により市場から消えるという意見があった。今日、インターネットを媒体としたストーリミングがCDを市場から淘汰させている中で、レコードの需要は増加している。このように音楽の記録媒体は、レコード、テープ、CDそしてインターネットの流れの中で、中間的媒体物は排除され、両端だけが利用される傾向にあります。

 「デジタル通貨の発行で現金は消えるのか」というレコードと類似した問題が生じます。私は、このキャッシュレス化を象徴する出来事を中国で目にしました。

 1つ目は上海国際空港での光景です。浦東国際空港から虹橋国際空港に移動するバスの中で、バス代が5元不足している女性が、見ず知らずの女性の乗客と何やら話をし、相手のスマホのQRコードを読み取りWechatペイを用いて5元の振込を提示し、相手から5元を入手することができました。

 2つ目は、世話をしてくれた本学に短期留学していた学生が予約してくれたタクシーでホテルまで乗り、領収書だけを受け取ってタクシーを降りました。同行した職員によると、タクシー代金の支払いは予約した学生によって既に支払われているので、後日、Wechatでタクシー代金を支払いますとのことです。

 3つ目は、中国の大学の先生と中華調理店に入ると、料理の品物は既にスマホで予約され、支払いもスマホで行われ、私たちは行って食べて帰るだけでした。

 さて、通貨は、中央銀行が発行する現金と銀行が発行する預金通貨(デジタル通貨)で構成されています。現在、利用されている○○ペイは、預金通貨をベースとして発行される非銀行部門の預金通貨と看做すことができます。インターネット社会の下では、より便利で効率的な決済手段として非銀行部門が創造する預金通貨の部分が大きくなってきています。

 通貨は決済手段であり、価値貯蔵手段として利用されますが、価値の安定が不可欠です。価値の安定を維持・達成するのは中央銀行の役割です。この意味で、中央銀行の発行する通貨は、経済にとって不可欠な存在であるといえます。

 以上のことから、通貨もレコードと同じく、新しい決済手段が利用されたとしても、中央銀行が発行する通貨は依然として存続するということが予想されます。

(経済学部 田中勝次)

〈経済学部通信〉大学院進学に向けた講義

ゴールデンウィークも終わり、大学での講義も再び本格化しつつあります。

 

私が受け持つ特別演習という講義では、大学院進学を目指す学生を対象として院試対策を行なっております。

 

日本において、経済学は文系として位置づけられる分野ですが、現実で生じる経済現象について理解を深める際には、数学を用いることが多々あります。

 

大学院入試でも筆記試験では、数学を必要とする問が多く出題されます。

 

特別演習の講義資料では、細かく数式展開を書き入れるなど、学生が数学に対して苦手意識を持たないように工夫することを心がけております。

 

 

新型コロナウイルスの影響で新しい生活様式が求められる中、大学の講義についても新たな様式へと変換が求められております。

 

まだまだ試行錯誤を繰り返しながらではありますが、受講生が希望とする進学先へと合格できるようサポート出来ればと考えております。

(経済学部 星野)