今回は韓先生にご寄稿いただきました。
なんと、目覚まし時計のアラームを4段階全部聞き逃して、ようやく目が覚めた朝だった。
カーテンを開けたら、重そうに暗く垂れている空。いよいよ雪かと思ったら、雨!…
もうじき春節なのだ。極寒中の実家を大掃除やらごちそうやらの準備で忙しく駆け回っている母の姿が脳裏に思い浮かびつつ、熱いお茶を手にボウッと放心していた。
「ふるさとは遠きにありて思ふもの…」って、こういうことかぁ!
おっ!目に留まった。今日のカレンダーは何もない日!
やった、のんびりしていられるんだ!
小さな幸せを覚えた自分と、そんな自分がなぜか愛おしくて愛おしくて…
実は、この冬、一つ実践していることがあるのだ。
「家の中をつとめてハダシで動く」こと。
冷たい床から伝わってくる、その冴え冴えとした感触が、じょじょにじょじょにこの自分を芯から起こしてくれる。足のつま先から復活していく何とも言えない躍動と活力が身体の隅々まで行き渡り、今を確かに歩いている、その一瞬一瞬の実感というようなもの。ハマっている。
お茶の次は、太極拳だ。24式はワンセットで5分49秒―半熟卵がちょうどいい具合にゆで上がる時間―齧りたてだったけれども、日を追うごとにそれらしくなってきた。曲が終わったら、私は今日もまた新しい自分を手に入れた。
ふと、テレビから恵方巻のコマーシャルが流れてきた。世の中はいつも先を急いでいるのだ。
この記事が載った頃には五月人形の出番にでもなったのだろう。ついていけない魂がおいてきぼりにされそうで寂しくてならない。
とはいえ、人のこと、世のことはともあれ、せめて自分のことくらいは自分で決めて動きたいものだ。ゴールを目指すことだけに気を取られ、足元をおろそかにしてしまいたくはないのだ。
「歳月は人を待たず。」
明日の為に今日があるのではなく、今日はただ今日という唯一無二の存在としてそのひと呼吸ひと呼吸を意識しながら迎えたい。良かれ悪しかれ、二度とない一日だもん。
どうか、皆様にも「日日是好日」でありますよう。
(経済学部 韓)
寒さに咲く蠟梅―大学中庭