今回は韓先生にご寄稿いただきました。
前期も期末を迎え、「教える側」と「学ぶ側」の心構えについて現場で考えさせられたことを、一つの視点として共有させていただければ。
「先生、このグラフ、こうしたいんですけど、どうすれば?」と、月曜日2限の教養演習の時間に、プレゼンテーションのPPT資料作成の注意点についてお話を終わった直後に、一人の男子学生からアドバイスを求めてきた。
「それねえ、確か右クリックをすれば…、こうして」と、機械が大苦手な私だが、コロナの三年間に忘れては覚えてきた「ワザ」を「伝授」した。
「おおおっ!」と、その歓喜に満ちた声とその輝いた眼が、思い出すたびに勇気づけられ、そしてそれ以上に応えたくなる。
実はこの男子学生のような、意欲的に何かを実践しようとする学生は教室にはそれほど多くない。大半は与えられた課題は一応言われた通りにやり、しかも淡々とやるだけであり、その一歩先のことについては自ら更に深く考え、調べてみようとしない。提出された課題から学びの意欲も学びの喜びも感じられない。そして結局、もっと動いてもらうようにもっと指示を出さなければならないという堂々巡りのようなことの繰り返しになってしまう。じれったい思いに駆られてばかりいる。
むろん、教える側としては学生のためにと思って余念なく講義を務めるつもりではあるが、一方それを受ける学ぶ側も協働する権利または義務があるように思われる。だが、その肝心な片方は十分に機能していないようだ。現に、反応の薄い授業は張り合いがなくて予定した内容以外にその場でのひらめきなどはなかなか生まれないのだ。しかし一方では、目を輝かせ首をかしげながら手を挙げたりするクラスでは、生き生きとした明るい空気が感じられ、そして何よりその反応にもっとうまく応えられるように、教える側も身を引き締めて臨まずにはいられない。
ちなみに、例の男子学生だが、新入生学外オリエンテーションの際に教わったメールの書き方を完璧に実践しており、ゼミで出された課題へのコメントをもきちんと活かせて回を追うごとに文章力がついてきた。応えがあったからこその成長なのだ。
中国語には「教学相長」という言葉があり、「教える」と「学ぶ」は相成長するという意味でよく知られている。その言葉通りに身をもって実感したのは、教壇に立ってからの20余年来、今の自分を創り上げたのは「学ぶ」側の一人ひとりに違いない。むろん、自分もその誰かの成長に役立ったのではないかと誇りに思っている。
ところで、今のあなたはいかがかしら?
もしも今の自分に満足できていないのなら、まず自ら意欲的に動いてみよう!その意欲の先にきっと応えてくれる何かが待っているのだろう。
(経済学部 韓)