今回は三谷直紀先生にご寄稿いただきました。
このたび、本学で初めて英語で労働経済学の講義をする機会を得た。その経験を少しお話ししたい。
実は、私はその昔フランスのオルレアン大学(ジャンヌ・ダルクで有名なオルレアンにある大学)に客員教授として招かれ、フランス語で日本の労働市場について講義をした経験がある。準備は大変であったが、現地の大学生には真剣に講義を聴いてもらった。現地の言葉で直接対話をすることによって、その当時のフランスの学生が持っていた悩みや希望なども聞くことができ、「現地語」の持つコミュニケーション力を実感した。
今回はふたを開けてみると、私の授業を受講してくれた学生は留学生9名+日本人1名の少数精鋭の諸君であった。「現地語」は日本語であり、留学生諸君も流暢に日本語で話ができる。また、学生諸君に受講動機を聞いてみると、日本の労働市場に興味をもっているからという答えが多かった。日本語でやれば日本の労働者の心情など、日本社会の機微にもふれることができよう。ならば、なぜ英語で講義をやる必要があるのであろうか?
テーマは日本の雇用システムの特徴としてよく挙げられる「三種の神器」(すなわち終身雇用、年功賃金及び企業別労働組合)を取り上げた。英米の学者による著作も参考にしたが、やはり日本に対するエキゾチシズムを強調する面がみられた。また、日本の研究者による文献も古いものほど日本特殊論的傾向が強いと感じられた。そこで、今回は、徹底して経済理論と実証データで検証された科学的手法による研究成果のみを講義の対象とすることとした。
今回講義をする上で最も役に立ったのは、アメリカの大学の労働経済学の教科書(特に、ハーバード大学のBorjas教授のLabor Economics)とOECD(経済協力開発機構)の報告書であった。というと、アメリカの労働市場は流動的であることが常識であり、終身雇用などほど遠いのではないか、そのような労働市場を分析したアメリカの教科書がなぜ役に立つのだろう?という疑問が湧くかも知れない。実際、統計データをみるとアメリカは日本に比べて転職率が高く、流動的である。しかし、年齢別にみると、転職率が高いのは主に20歳代の若い層であり、30歳代半ばに入るとアメリカでも転職率が下がり、終身雇用といわれるような状態になる。さらに、アメリカでも年齢とともに賃金が上がる年功賃金は一般的にみられる。こうした終身雇用や年功賃金という研究テーマはアメリカでも1970年代以降盛んに研究された。今日有力な理論仮説とその検証は主にアメリカの研究者によるものである。
日本では企業別労働組合という特殊な労使関係なので、組合の力が弱い、他の先進国は主に産業別労働組合であるから交渉力が強いといった言説がその昔主流であった。しかし、OECDが2010年代半ばに実施した加盟各国に対するアンケート調査によれば、労使の実質的な団体交渉は多くの国で各企業単位で実施されており、企業別労働組合こそが主流であり、産業別労働組合は少数派であることが明らかになった。昔の研究者はきちんと調査した統計を見ておらず、勝手な思い込みが強かった?!
今回私自身もいろいろな知見を得ることができ、勉強になった。それは、英語で教えるという機会があったからである。今日主要な学術的知見は英語で書かれ、世界に広がっている。英語で講義を行ったからこそ、より広い見地から「日本の雇用システム」の理論と実際にせまることができたのではないかと思われる。つまり、「国際共通語」としての英語の力によって、自分勝手な思い込みを廃し、最新の理論や実証研究の成果をより深く話すことができたのではないかと思う。
英語は単に英語圏だけの「現地語」ではなく、「国際共通語」としてこれからますます重要になると考えられる。AIの時代でもそれは変わらないのではないか。真の創造性を生む「逸脱」はまだ機械には無理であろうから。
(経済学部 三谷直紀)