
会場準備や運営をお手伝いしてくれている学生スタッフによる感想です。
「落語家の人育て」
落語家 金原亭 馬生 氏
作家、慶應義塾大学文学部 教授 荻野 アンナ 氏
※本講演は対談と落語一席の講演90分と質疑応答30分の構成です。
噺家の方が講師ということで、冗談を交えつつ、文学の意義や、弟子の教育の変遷についてお話していただきました。また、人を育てることについて新たな発見をすることが出来ました。
お話の中で、「文学部よりも社会文学部の方が人気があるのは、「社会」という言葉がついているだけだからだ」と言われていました。現代の学生は、「社会」という言葉に敏感になってしまっているのかなと思いました。実際、私も「社会」と聞くと、就職に役に立ったりしそうだな、などと考えるほどです。また、荻野先生から「一般的に文学はなくてもよいと思われがちだ」とお話を受けて、金原亭師匠から、ある師匠の名言として「無駄から文化が生まれる」とお話しをされたのを伺い、無駄があるから趣味、文学が生まれ人間らしく生きられるのだと感銘を受けました。文化の発展は国や自身の経済的ゆとりが大いに関係していると思います。落語や文学だけに限らず、音楽などの芸術・文化を感じられる日々があることは有難いことなのだと改めて感じました。
かつて、落語界では「バカ野郎!」と弟子が師匠に頭ごなしに怒られることは日常茶飯事で、さらに、落語業界の弟子だとして門下関係なく怒られるそうです。昔は怒られると、「すみません!」と謝るのが大半でしたが、最近ではある一人の弟子を怒った時、今まで怒られたことがなかったからか、黙りこくってポロポロと涙を流してしまったそうです。時代によって弟子の育て方を変え、また、褒められて育つタイプと叱られて育つタイプとで、弟子の性格によっても育て方を変えているとお話されました。金原亭師匠も弟子と過ごすなかで、一人一人の叱り方、怒り方が分かるようになり、弟子に合わせているそうです。
「何でもいいんだよ。でもどうでもいいんじゃないんだよ。」という十代目金原亭師匠の言葉を聞き、本来の意図とは違うかもしれませんが、私は、何をするにも手段は問わないが、蔑ろにしてはいけない、ということかと解釈してみました。
私は、大学で教職課程を履修していますが、講義の中での話し合いで生徒指導について取り上げたりしています。今まで生徒一人一人に合わせて叱り方や接し方を変えていると、周りから見るとえこひいきしているように見えたりしないかと心配していました。しかし、伝え方が違うだけで、伝えなければならない内容が同じならば、真意を持って伝えられたらよいのかと、今回のお話で気づくことが出来ました。人を育てるという点では教育界と落語界は同じなので、落語界の、一人の噺家として業界全体で育てる、という一体感を教育界でも教育実習などで感じられたらいいなと思いました。

感想担当:あっすー 主に夕学講座準備から運営のお手伝い。 ムードメーカーで、協働していると周囲が明るくなる学生です。 経営学科1年生