〈経済学部通信〉K高校定期演奏会で思ったこと

今回は石原先生にご寄稿いただきました。


3月市内K高校の定期演奏会でOBの演奏を指揮させていただきました。演奏曲目はマーチ「若人の心」、「グレンミラーメドレー」、そして交響詩「フィンランディア」です。2月初めての練習時に演奏曲目を聞いて、「何か思惑があるのでしょうか?」と尋ねたところ「特にありません」とのこと・・・

 「フィンランディア」はフィンランドの作曲家シベリウスの作品で、作曲された1899年当時フィンランドはロシアの圧政に苦しめられており独立運動が起こっていたようで、この曲も作曲当初の曲名は「フィンランドは目覚める」だったそうです。ロシア政府がこの曲を演奏禁止処分にしたという有名な話も残っています。偶然この曲を選曲したのかな~?

 ロシアと欧州、他の楽曲でも、1831年ロシアがワルシャワに侵攻した時の怒りの感情をポーランドの作曲家ショパンは練習曲「革命」に込めたと言われています。

1968年チェコスロバキアがソ連(ロシア)率いるワルシャワ条約機構軍による軍事介入で制圧されたことを知ったチェコの作曲家(当時はアメリカ在住)フサは「プラハ1968年のための音楽」を作曲しました。

皆さんもよく知っている作曲家チャイコフスキーの大序曲「1812年」はナポレオン率いるフランス軍がロシアに侵攻するも退却。このロシアの歴史的勝利を題材にこの曲を作曲しました。曲の最後には本物の大砲まで登場します。

さて、K高校の定期演奏会ですが、さすが伝統ある高校のOBの皆さん2回しか練習できなかったのに見事な演奏で私の要求する音楽に答えてくれ素晴らしい演奏会になりました。

(経済学部 石原 憲)

〈経済学部通信〉文章を正しく解釈するということ

今回は池田先生にご寄稿いただきました。


5月末の休日に対面での国内学会に参加しました。2020年からしばらくオンライン開催でしたので,私が本学に赴任して以来になります。久々に大学院時代の先輩や後輩,学生時代に懇意にして頂いた先生方とお会いすることができ,嬉しさを感じるとともに,自身の立場の変化を改めて認識する機会にもなりました(通常であれば教員として就任した年の学会で,色々とお世話になった先生方に報告を兼ねたご挨拶をするものかと思います)。

社会経済史学会第92回全国大会@西南学院大学

今回参加した学会のなかで,ある報告をきっかけにひとつ気になったことがありますので,ブログを通じて皆さんと共有できればと思います。

 

ある学者の研究発表について,内容はさておき非常に細部にわたり分析がなされていました。歴史史料に記述されている言葉に対しては,それがどのような社会的立場の人が記した(発言した)ものなのか,どのような社会背景のもと,どのようなことを意図して書かれたものなのかなどなど,様々な点に注意を向けなければなりません。当時の社会や政治,経済,文化がいかなるものであったのかを理解してからその言葉の意味を捉えないと,誤読してしまいかねないからです。むしろこれらの作業を経て,ようやくその記述の意図するところがきちんと理解されるといえます。その報告はこれらの分析が素晴らしく,非常に説得的でした。さらに,そこから浮かび上がった社会経済問題は優れた数量分析の解釈に利用され,45分という時間があっという間と感じるくらい圧巻の報告でした。見習わなければ,と痛感した程です。

 

数日経って岡山に帰宅し,ふとした瞬間にSNSをひらくと,とある投稿が炎上していました。今となっては日常としてある風景なのかもしれません。ただ気になったのは,その投稿にあるコメントが酷かったことです。投稿者の意図とは全く違った形で解釈がなされ,それをもとにして罵詈雑言を浴びせていました。そのようなコメントを数件目にして,少し心が痛み,そっとスマホを横に置きました。

 

今となっては我々の日常によくあることで,ひょっとすると自分もそのような環境に慣れてしまっているのかもしれません。それでも,学会を経てから,相手の意図する言葉と違うように(勝手に)解釈しそれに礼節のない批判を展開するSNSに,嫌気がさしつつあります。

 

すべての投稿に対して,投稿者が何を言おうとしているのかを考えることは不可能ですし,そんなことをしようとする人もいないでしょう。それでも,少なくとも自分が(肯定的であれ否定的であれ)リプライをする場合には,必要に応じて投稿者の意図するものを汲み取る(汲み取ろうとする)姿勢を持つべきですし,顔見知りでもない人へのリプライであればその姿勢をも見せる必要があると思います。それこそが相手の発話に応じるときに示すべき最低限の敬意だろうというのが,私自身の考えです。

 

これまでの大学教育においても,そのような作業を行う訓練は初年次から行われてきました。文章の要約や指定図書の輪読などは,専門性を涵養する作業であると同時に,文脈をきちんと理解する作業にもなります。しかしながら,決してそれが活かされていない現実社会が広く存在するのも事実です。数量的ではない,いわゆる定性的分析への教育が十分にできていないのかもしれません。

 

知らない人にも簡単に,しかも匿名で言葉を投げかけられてしまう世の中です。「SNSの使い方」に留まらず,多様にある意見がどのような文脈で出てきたものなのか,発言・投稿された言葉の意図はどこにあるのだろうか,ということに対して意識的に考えることの重要性を,改めて認識すべきなのでしょう。

 

そのために教育現場として何ができるだろうか。専門的な教育に加え,いま世の中に必要とされているモラルや多様な考えとの付き合い方をどのようにして学生に伝えることができるのか。

 

果たして,自分自身はそのような社会とうまく付き合えているのだろうか。

 

学会へは研究者として参加することが普通ですが,今回は教員として大きな課題を投げかけられた学会となったようです。

 

大学生のメッセージというよりは,教育に携わる私への自戒としてブログに取り上げさせて頂きました。幸いなことに,このブログは大学関係者だけではなく様々な方々からもご覧いただいているようです。ご意見などございましたら,ご自由にコメントを残して下さいますと幸いです。

(経済学部 池田)

〈経済学部通信〉岡山商科大学の学食

今回は渡辺先生にご寄稿いただきました。


     岡山商科大学の学食に行ってみたいと思います。

この建物は学生会館です。1階に食堂があります。テラス席が設けられており、緑葉の爽やかさを感じながら食事をすることもできます。

食堂の中に入ってみましょう。

食券を自動販売機で買います。安くて豊富なメニューです。

味はどうでしょうか。試食してみます。
天ぷら蕎麦330円です。
海老が沢山入った大きなかき揚げ、あぶら揚げや鳴門巻きも乗っています。
出汁もおいしいです。

親子丼420円です。
食券を買ってから、店員さんがひとつひとつ作ってくれます。
とてもジューシーでおいしいです。


カツカレー450円です。
サクサクのカツが添えられていておいしいです。小さなサラダも付いています。

岡山商科大学の学食はどなたでも利用できます。
お昼ごはんを食べにいらしてください。

(経済学部 渡辺寛之)

〈経済学部通信〉第167回経済学研究会が開催されました

5月10日(水),本学763教室にて第167回経済学研究会が開催されました。

今回は吉井昌彦先生より,『ウクライナの西方政策-モルドヴァとの比較-』と題して研究をご報告いただきました。

報告の中では昨今報道で目にしない日が無いウクライナとその隣国であるモルドヴァについて,地理的・歴史的背景およびそれに伴う文化的背景に触れ,常に東(ロシア)を向くか西(EU)を向くかの板挟みにあったことなどが説明されました。また,両国のEU加盟についての今後の見通しや課題について述べられました。

(文責:経済学部 熊代)

〈経済学部通信〉旅に出よう

今回は今年度より着任された吉井昌彦先生にご寄稿いただきました。
吉井先生はロシア・東ヨーロッパ経済を専門とし,本学では「ヨーロッパ経済論」などの講義を担当されています。


新型コロナも一段落し、外国人観光客が戻ってきました。渋谷スクランブル交差点を渡る人波も戻り、この人波を写真やビデオに収めようとカメラやスマホを構える外国人観光客も戻ってきました。歩行者用信号が青に変わると一斉に人々が動き出し、ぶつかることもなく人々が交差していく、日本人には何ということもない風景をどうして外国人観光客はビデオや写真に収めようとするのでしょう?

渋谷スクランブル交差点

 

1回の信号で3,000人とも言われる人々が、誰に頼るでもなく、ぶつからず、交差点を渡り歩くことができる、日本人ならではの「譲り合いの精神」に基づく「高等テクニック」を見たいそうです[1]。「私は、私は」で回りを見ずに歩けば、ぶつかってしまう。日本人は周りを見ながら歩くので、スクランブル交差点内を右(左)側通行にするなどという規則を作らなくても人々はスクランブル交差点を渡れるというわけ(最近は譲ることを知らず、直進してくる人も増えてきたけれど)。

日本は、周りの人々にあわせる(出る杭は打たれる?)、細部にこだわる完璧主義などを武器に高度経済成長を成し遂げ、世界有数の経済大国となりました。しかし、今や日本はフロントランナーとなり、新たな発想や技術で新しい社会を作り出し、「失われた30年」を乗り越えていかなければいけません。岡山商科大学で学ぶ皆さんが新たな発想を身につけ、新しい社会に伍して生きていくためには、これまでとは異なる考え方、生き方を身につける必要があります。自分たちとは異なる考え方や生き方を知る、身につける簡単な方法の一つは、異なる地域や国へ出かけることです。

短期間の観光旅行で構いません。それこそ、渋谷スクランブル交差点に行き、どうして外国観光客は写真を撮っているのだろうと考えることから始めるのも一つです。グループ旅行に参加し、自由時間に街を一人で街を歩くだけでも構いません。例えば、日本では切符を買う時に先に自動券売機にお金を入れて、行先(金額)ボタンを押しますが、欧米では行先ボタンを押してからお金を入れます。そもそもヨーロッパの多くの市内公共交通機関では改札などありません(車内検札で無賃乗車が見つかると高額の罰金を支払わなくてはいけないので、切符はちゃんと買いましょう)。こんな違いがなぜ起きるのか、考えてみましょう。

もちろん留学をし、半年、一年あるいはそれ以上暮らすことができれば言うことはありません。言葉を学ぶだけでなく、現地の学生や人々がどのように考えているかを知り、自分を変えていく良い動機付けになることでしょう。残念ながら、内閣府の調査(令和元年度)では、留学をしたいという日本の若者(32.3%)は韓国や米国(約65%)の半分です。このまま日本に住み続けたいと考える若者の比率も高く(42.7%)、日本の若者の安定・内向き志向が表れています[2]。岡山商科大学には、学生交流協定をもっている海外大学があります。語学研修も行われています。ぜひ活用しましょう。

私も、大学2年生の夏休みにシベリア鉄道に乗りにロシア(当時はソ連)を旅行しました。モスクワやサンクトペテルブルク(当時はレニングラード)の重厚な建物に圧倒される一方で、暮らしの貧しさも感じました。一緒にシベリア鉄道に乗っていたある大学生は、駅の陸橋から写真を撮り、フィルムを抜かれました。レニングラードの夜の街を一人で歩いていると、おじさんがどう見てもロシア人に見えない私に道を尋ねてきました(「ロシア語は話せません」とロシア語で答えたので、きょとんとされたのはご愛嬌)。などなど貴重な体験満載の3週間で、これが私のロシア(ソ連)経済研究のきっかけとなりました。

さあ皆さん、旅に出ましょう。

シベリア鉄道

 

[1] https://dot.asahi.com/tenkijp/suppl/2019060200005.html

[2] https://www8.cao.go.jp/youth/whitepaper/r01honpen/s0_1.html

〈経済学部通信〉コロナ前と現在の通勤事情の変化(私の場合)

今回は両角先生にご寄稿いただきました。


クルマを持たない私は、雨が降らない限り、自宅から商大まで自転車で通勤しています(雨天なら傘をさして徒歩で通勤。徒歩圏内に住んでいる)。これは昔から一貫して変わりません。しかし、コロナ前と比べて現在は変わったことがあります。変わっていないのだが変わったという、この矛盾。その事情は、大きく次の2点です。

  1. 電動アシスト自転車に乗るようになったこと。

    自転車を買い替えたのは、「コロナ給付金」を私ももらったためです。何か記念になる(?)ものでも買おうかと考えた結果、それまでの普通自転車から乗り換えることにしました。私が買ったモデルの価格は、「コロナ給付金」とほぼ同額でした。    

    3年前から全国的に電動アシスト自転車は爆発的に売れた模様ですが、バスや電車で通勤するのを回避したいという人が大勢いたためだと聞きます。私の事情はそれとは違いますが、流行の一翼を担ってしまったことは確かです。

    電動アシストを初めて経験して、発車時の加速のスムーズさ、坂道を登るときのペダルの軽さ、などに感動を覚えたことは言うまでもありません。異次元の自転車経験でありました。これに慣れると普通自転車には戻れなくなるとも聞きますが、確かにそうでしょう。足腰が弱ることにならないかと懸念もありましたが、今のところ問題はありません。

  2. 自転車用ヘルメットをかぶるようになったこと。

    最近の道路交通法改正を受けての対応です。順法意識が発達しているというより、急ぎの移動中にお巡りさんに呼び止められてはかなわないと考えたためです。

近ごろヘルメットもまた大いに売れていて、人気の高いものは品薄状態にあるらしいですね。ネット通販で私が選んだものもしばらくは品切れだったのですが、在庫が入って注文することができました(しかし、その直後にまた品切れとなった)。

ヘルメット着用推進キャンペーンも盛んで、近ごろのニュースでも自転車事故の扱いが明らかに増えたと感じます。事故の当事者がヘルメットをかぶっていたか、いなかったか、などということまで報じられるようになりました。とはいえ、学生さんたちも含めて、律儀にヘルメットをかぶっているのはまだまだほんの少数派と見えます。

ヘルメット着用の「努力義務」化、またその推進キャンペーンも悪くはないかと思うのですが、しかし、どうなのでしょう。事故防止という観点から、それ以前にもやるべきことはいろいろありそうな気がします。

たとえば、携帯電話を操作しながら自転車に乗るなどというのは、「論外」の外ですが、しばしば見かけます。それをやっている若い女性と衝突した経験もあります。もう少し本気で取り締まってくれても、私は少しも苦しくありません(携帯電話を「携帯」する習慣がないので)。無灯火走行もまた同じで、私の自転車は自動点灯なので消したくても消せません。

自転車というのは一種の「境界存在」で、ルールへの対応が難しい点がいろいろあると近ごろ感じています。自転車は法律上「軽車両」という区分とされ(場合によっては「歩行者」並み)、基本的にクルマと同様のルールが適用されるものだということは、私にもわかります。一応、わかります。しかし、そもそもクルマの免許も持たない私は、「道路交通法」なんて勉強したことは一度もないのです。「青は進め」、「赤は止まれ」という常識程度の知識で道路に出ています。

たとえば、側道から広い道に出るとき、路面に引かれた白線で一時停止しないと、自転車であっても違反となるということを、私は最近初めて知りました。あるいはまた、信号つきの横断歩道で、自転車通行帯の表示がない場合、自転車から降りて100%歩行者として(自転車を押して)横断歩道を渡るなんてことをできている人がどれだけいるでしょうか、と。

いろいろ難しいのですが、とにかく皆さん、安全運転を心がけましょう。

(経済学部 両角)

〈経済学部通信〉岡山県英語教育研究会を商大で開催

今回は今回は宮島先生にご寄稿いただきました。


令和5年3月25日(土)に岡山商科大学764講義室  にて、第16回岡山県英語教育研究会(むさしの会)が開催されました。この研究会は10年前に元立命館大学教授の山岡憲史先生と岡山商科大学専任講師の宮島が、出版社美誠社の協力のもと発足した会です。現在は井上直美留学研究所に事務局を置いています。

この研究会の目的は、最先端の英語教育の実践事例を通して授業改善を目指すことです。また北は北海道から南は九州までの、多くの英語教師を会員に年2回(3月と8月)開催されています。新型コロナの影響で3年間開催できませんでしたが、今回久々に開催することが出来ました。

今回は倉敷青陵高校の和田博文教諭と米子東高校の景山浩之教諭の実践発表がありました。ディベートの授業やICTを使った授業実践の報告に大いに学ぶことができました。特に今話題のchatGPTを使った英作文指導の実践例もありました。次回は8月に開催の予定ですから多くの高校の英語科の先生に参加して欲しいです。

(経済学部 宮島)

〈経済学部通信〉2023年度 経済学部新入生合宿

経済学部では4月8日(土),9日(日)の二日間,岡山市立少年自然の家にて新入生を対象とした合宿を実施しました。この合宿は新型コロナウイルスの影響で2020年から中止しており,3年ぶりの開催となりました。

合宿では6つの研修を通じて,4年間の大学生活で必要になる大学生としての心得やマナーを学ぶとともに,グループワークで仲間との絆を深めました。

ゼミ毎に協力して採火活動を行いました。

採火した火はランプに灯して,合宿の成功を見守ってもらいます。

それぞれの研修ではグループで議論することでお互いを理解し,尊重することを学びました。

野外炊事では役割分担をして,カレーを作りました。

二日目の朝は快晴でした。

朝のラジオ体操

目標の実現のためには普段の振る舞いが大切だと学びました。

近畿大学の石村雄一先生をゲストスピーカーとした就職活動についての研修では,「話を聴く態度」について学びました。

これから4年間,一緒に頑張っていきましょう!

(経済学部 熊代)

〈経済学部通信〉仕事を学ぶこと(On-the-Job Training)

今回は三谷先生にご寄稿いただきました。


1930年代半ば、スウェーデンのある製鉄所で不思議なことが起こった[i]。当時ファーゲルスタ社のホーンダール製鉄所は本社から見放されていた。すなわち、最低限の修理と壊れた装置の交換(新型に代えることはなかった)を除き、15年間もの間新たな設備投資はまったく行われなかったのである。そして、生産方法にも大きな変更はなかった。それにも関わらず、マン・アワー1時間当たりの生産量(=生産性)が、この期間年率で平均2%増加していたのだ。ちなみに、同社の他の工場ではこの間重要な新規の設備投資が行われており、全社平均での生産性の伸びは年平均4%であった。

ホーンダール製鉄所の生産性の伸びは何によって生じたのであろうか?生産設備や生産方法に変化がなかったのであれば、労働者の技能が高まったためとしか考えられない。何か特別の訓練を行った形跡もないので、仕事をすることによって仕事の習熟度=技能が高まっていったものと考えられる[ii](「ホーンダール効果」と呼ばれることもある)。こうした仕事に就きながら仕事を学び、技能や技量を高めていくことは企業内訓練あるいはOJT(On-the-Job Training)と呼ばれている。この中には、先輩や上司による指導・教育や座学での学習なども含まれる[iii]。ホーンダール製鉄所の事例は、特段の訓練プログラムを実施しなくてもOJTの効果が馬鹿にならないことを示している。

なぜ、OJT(仕事をやりながら仕事を覚えること)が大切なのか?それは、仕事を遂行する技能・技量には、言葉にできるは知識(命題知)だけでなく、言葉にできない知識(技能知)が必要だからである[iv]。そして、技能知は実地で仕事をしながら覚えていくしか習得できない。たとえば、テニスでラケットを使ってボールを打つことを学ぶにはいくら言葉で説明を受けてもだめである。実際にボールを打ってみないと習得できない。その時自己流でやると悪い癖がついてしまうが、よい指導者について教えてもらえば上達が早い。アリストテレスは『ニコマコス倫理学』の中で、「人は建築をすることによって大工となり、…」と述べており[v]、OJTの本質を見抜いている。大工になるには、実際に建築をして大工の仕事を覚えていくしか方法はないのである。

日本では、大企業を中心としてOJTによる巧みな技能形成システムが形成されている。幅広い持ち場を移動することによって変化や異常に対応できる技能形成を図るとともに、技能の幅と深さを査定し、それを賃金に反映して技能形成へのインセンティブを高める賃金制度との組み合わせである[vi]

政府は「新しい資本主義」で「人への投資」を主要政策に掲げているが、経済社会の構造変化の中で日本企業が長年培ってきたOJTによる技能形成システムを生かす知恵が求められている。そして、もし、学生諸君が就活で企業の選択に迷ったら、人を育てることに熱心な企業かどうかもひとつの重要な判断基準になるのではないだろうか。

(経済学部 三谷)

【注】

[i] Lazonick and Brush (1985).

[ii] “Learning by Doing” と呼ばれることもある。ここではOJTに含める。

[iii] 職場外の研修所などで行われる訓練をOff-the-Job TrainingとしてOJTと区別することもある。本稿ではこれらの座学も含めてすべての企業内訓練をOJTとする。

[iv] 詳しくは信原(2022)などを参照されたい。

[v] アリストテレス(1971)p.72.

[vi] 詳しくは、小池(2005)。

【参考文献】

小池和男(2005)『仕事の経済学』第三版、東洋経済新報社。

信原幸弘(2022)『「覚える」と「わかる」―知の仕組みとその可能性』ちくまプリマ―新書。

アリストテレス(1971)高田三郎訳『ニコマコス倫理学』上、岩波書店。

Lazonick, W. and T. Brush (1985), “The “Horndal Effect” in Early U.S. Manufacturing”, EXPLORATIONS IN ECONOMIC HISTORY 22, 53-96.

 

〈経済学部通信〉佐藤豊信先生が退職されます

令和5年3月をもって,本学経済学部の佐藤豊信先生が退職されます。

佐藤先生は平成27年3月に岡山大学大学院環境生命科学研究科を退官された後,本学経済学部に着任されました。

ご専門は農業経済および農業政策であり,水利権や農村地域における資源,介護など,多角的な視点から国内外の農業経済について研究され,多くの業績を残されました。

また,農業経済論や地域政策などの授業を担当され,教育面でも経済学部の発展にご尽力いただきました。

本ブログにおいても,「水」にかかわる話題を始めとして,非常に面白い記事を多数お寄せいただいているので是非ご覧ください。

〈経済学部通信〉商大キャンパスを取り囲む農業用水路から歴史を見てみると 

〈経済学部通信〉経済学と自然科学

〈経済学部通信〉大学と楷の木

〈経済学部通信〉最適技術とは何か?

 

(左)佐藤豊信先生 (右)田中勝次経済学部長

3月15日経済学部教授会にて

(経済学部 熊代和樹)