今回は三谷先生にご寄稿いただきました。
1930年代半ば、スウェーデンのある製鉄所で不思議なことが起こった[i]。当時ファーゲルスタ社のホーンダール製鉄所は本社から見放されていた。すなわち、最低限の修理と壊れた装置の交換(新型に代えることはなかった)を除き、15年間もの間新たな設備投資はまったく行われなかったのである。そして、生産方法にも大きな変更はなかった。それにも関わらず、マン・アワー1時間当たりの生産量(=生産性)が、この期間年率で平均2%増加していたのだ。ちなみに、同社の他の工場ではこの間重要な新規の設備投資が行われており、全社平均での生産性の伸びは年平均4%であった。
ホーンダール製鉄所の生産性の伸びは何によって生じたのであろうか?生産設備や生産方法に変化がなかったのであれば、労働者の技能が高まったためとしか考えられない。何か特別の訓練を行った形跡もないので、仕事をすることによって仕事の習熟度=技能が高まっていったものと考えられる[ii](「ホーンダール効果」と呼ばれることもある)。こうした仕事に就きながら仕事を学び、技能や技量を高めていくことは企業内訓練あるいはOJT(On-the-Job Training)と呼ばれている。この中には、先輩や上司による指導・教育や座学での学習なども含まれる[iii]。ホーンダール製鉄所の事例は、特段の訓練プログラムを実施しなくてもOJTの効果が馬鹿にならないことを示している。
なぜ、OJT(仕事をやりながら仕事を覚えること)が大切なのか?それは、仕事を遂行する技能・技量には、言葉にできるは知識(命題知)だけでなく、言葉にできない知識(技能知)が必要だからである[iv]。そして、技能知は実地で仕事をしながら覚えていくしか習得できない。たとえば、テニスでラケットを使ってボールを打つことを学ぶにはいくら言葉で説明を受けてもだめである。実際にボールを打ってみないと習得できない。その時自己流でやると悪い癖がついてしまうが、よい指導者について教えてもらえば上達が早い。アリストテレスは『ニコマコス倫理学』の中で、「人は建築をすることによって大工となり、…」と述べており[v]、OJTの本質を見抜いている。大工になるには、実際に建築をして大工の仕事を覚えていくしか方法はないのである。
日本では、大企業を中心としてOJTによる巧みな技能形成システムが形成されている。幅広い持ち場を移動することによって変化や異常に対応できる技能形成を図るとともに、技能の幅と深さを査定し、それを賃金に反映して技能形成へのインセンティブを高める賃金制度との組み合わせである[vi]。
政府は「新しい資本主義」で「人への投資」を主要政策に掲げているが、経済社会の構造変化の中で日本企業が長年培ってきたOJTによる技能形成システムを生かす知恵が求められている。そして、もし、学生諸君が就活で企業の選択に迷ったら、人を育てることに熱心な企業かどうかもひとつの重要な判断基準になるのではないだろうか。
(経済学部 三谷)
【注】
[i] Lazonick and Brush (1985).
[ii] “Learning by Doing” と呼ばれることもある。ここではOJTに含める。
[iii] 職場外の研修所などで行われる訓練をOff-the-Job TrainingとしてOJTと区別することもある。本稿ではこれらの座学も含めてすべての企業内訓練をOJTとする。
[iv] 詳しくは信原(2022)などを参照されたい。
[v] アリストテレス(1971)p.72.
[vi] 詳しくは、小池(2005)。
【参考文献】
小池和男(2005)『仕事の経済学』第三版、東洋経済新報社。
信原幸弘(2022)『「覚える」と「わかる」―知の仕組みとその可能性』ちくまプリマ―新書。
アリストテレス(1971)高田三郎訳『ニコマコス倫理学』上、岩波書店。
Lazonick, W. and T. Brush (1985), “The “Horndal Effect” in Early U.S. Manufacturing”, EXPLORATIONS IN ECONOMIC HISTORY 22, 53-96.